ネット上には、個別的な話を、カテゴリー間の話にしたがる人が見受けられる。
例えば、愚痴レベルの話を、男女間の問題にしてしまう人。
「~なことがあった。これってセクハラだよね。」という書き込みに対し、
「だから男はダメなのよ!」とか、
「女だってセクハラするだろ!」とか。
国家間の話もそう。
カテゴリー間の戦いを好む人々は、互いをあげつらい、それによって一時の勝利感を味わって承認欲求を充たしたいだけに見える。
そこからは、今後の関係改善に役立つ提案は生まれず、話題提供者のストレス解消にすらならない。不毛なだけ。
昔は、こういう戦いは、匿名掲示板でだけ起こるものだと思っていたけれど、
最近は、SNS上で、名前と顔を出しているにもかかわらず(名前と顔の真偽のほどは不明だが)、戦う人々を散見する。
顕名で議論すること自体は、望ましいことだと思う。大人なら、自己の発言には責任を持つべきだからだ。
しかし、議論には、レベルというものがあり、相互を尊重する姿勢を欠いた、自己の憂さ晴らしのための不毛な議論には、意味がないと思うのだ。
例えば、愚痴レベルの話を、男女間の問題にしてしまう人。
「~なことがあった。これってセクハラだよね。」という書き込みに対し、
「だから男はダメなのよ!」とか、
「女だってセクハラするだろ!」とか。
国家間の話もそう。
カテゴリー間の戦いを好む人々は、互いをあげつらい、それによって一時の勝利感を味わって承認欲求を充たしたいだけに見える。
そこからは、今後の関係改善に役立つ提案は生まれず、話題提供者のストレス解消にすらならない。不毛なだけ。
昔は、こういう戦いは、匿名掲示板でだけ起こるものだと思っていたけれど、
最近は、SNS上で、名前と顔を出しているにもかかわらず(名前と顔の真偽のほどは不明だが)、戦う人々を散見する。
顕名で議論すること自体は、望ましいことだと思う。大人なら、自己の発言には責任を持つべきだからだ。
しかし、議論には、レベルというものがあり、相互を尊重する姿勢を欠いた、自己の憂さ晴らしのための不毛な議論には、意味がないと思うのだ。