自分が死ぬことを受け止めるということ | 4年目看護師のアタマとココロ

自分が死ぬことを受け止めるということ

私は、患者の希望を支える手助けをしたいと思っていました。

でも、ここは外科病棟。

というよりむしろ消化器癌病棟。

看護って何なんだろうと思わされてしまうことがあります。


人間誰でも死ぬということはたいていの人は分かっています。

自分もいつかは死ぬということもたいていの人は分かっています。

でも、それが自分の身にやってくるのが

1年以内だとか、半年以内だとか、3か月以内だとかっていうのは、

多くの人にとっては受け入れ難いことであることもまた実際のところだと思います。


私が働いている消化器外科で出会う患者さんの場合、

死を迎える半年前くらいというのは、多くの人は一見すると元気に見えます。

多少の症状がある場合もありますが、

コントロールしきれない程、あるいは我慢しきれない程ではなかったりします。

患者さん自身や家族にとっては、

死がごくわずかなところまで迫っているなんて

信じられないというのも当然だと思います。


「この患者さんは残された時間をどうしたいか。

何をしたいか。どう過ごしたいか。」

ということを考えたりします。

でも、「ただとにかく生きたいんだ」という答えにぶち当たることが多々あります。


たくさんの治療法がありますが、どんな治療にも適用・非適用があります。

いろいろと症状コントロールの技術も発達してきていますが、

刹那的な延命処置ということもできないことはないですが、

根本的に寿命を延ばすことはどうやってもできません。


苦しくなく死を迎えてもらいたい。という私たちの小さな願いは、

患者さん自身にとっては最初から優先順位が高いわけではありません。

「苦しくったって辛くたって、生きたい。」

こういう気持ちがあるのも確かだと思います。

でも、その願いが叶わないものと受け止めた時、

初めて残された時間の使い方について考えられるのかなと思います。


でもそれを受け止めるって一体どういうことなのか。

今の私には、頭で考えることと想像することしかできません。

つまり正直なところ、本当の意味では分かりません。

そして考えれば考えるほど、

看護師として何ができるのか、分からなくなります。

そもそも、何かできるのかも分からなくなってきます。