オートプシー | 4年目看護師のアタマとココロ

オートプシー

autopsy――病理解剖。


簡単に言えば、病院で患者が亡くなった時に

死因やそれまでの診断に対する確認のために行われる解剖のことです。

必ず行うべきものではなく、

遺族の承諾のもとで行われます。


うちの病棟で亡くなるのは大抵がガンの末期の方で、

それなりの期間闘病生活を送った末に亡くなることが多いようです。

患者さんが亡くなった場合、

主治医もしくは担当医が解剖を行うかの意思確認を家族にしなければならないのですが、

多くは「一応お聞きしなくてはならないことなので、」と前置きした上で話をし、

解剖しないことを選ぶ家族が断ることを負担にさせないようにしています。


大切な人を亡くすというだけでも、家族にとっては大変なことです。

死んでまでメスで傷つけるなんてことされたくない、という気持ちは当然のことと思います。

まして、それまでに苦しい過程を経てきた人であれば尚更です。


ただ、最近ちょっと疑問に思うことも出てきました。

本当に今行っている治療がこの患者にとってベストなのか?

患者が一番大切にしたいことに即した治療なのか?

この人の体の中では一体何が起きてなぜこうなっているのか?

このような疑問を持ちながら、治療を続け、看護にあたることがあります。

そんな時も、主治医は解剖しない方向で家族に話をします。

解剖には死因の特定だけでなく、

生前に診断の確認ということも行われます。

自分の診断・方針が間違っていたかもしれないという思いから、

解剖は避けたいだなんて思っているのでは?と勘ぐってしまうことがあります。


医者であれば、事実を知りたい、解剖をさせてもらいたい

という気持ちがあっても不思議ではありません。

実際、若い医者たちが

「この人は解剖させて欲しかった」と言っていることは時々あります。


「家族の気持ちを大切にする」という隠れ蓑を使って、

事実と向き合うのを避けているのではないか?

そんなことを思っているのは私だけではないようですが、

こんなことを主治医に面と向かって言える人はいません。


こんなことばっかりじゃ、病院が腐敗していきそうな気がしてなりません。


私も、全ての人に病理解剖が必要とは思いません。

でもやるべきだと思う人も多々います。

どちらの場合でも家族にとって解剖なんてとんでもないと思うのは当然かもしれません。

ただ、解剖は事実を知る手段でもあります。

死んでから事実を知ることに意味なんて無いという考えもあるだろうとは思います。

でもそれは、今後多くの人がより適切な治療を受けるために

大切なものを残すことに繋がる可能性があると私は思います。