慰安婦問題で米国の公的文書として下院第121号決議を主導したマイク・ホンダ前下院議員の出自について諸説があります。作家の百田尚樹氏に至っては、どのような確証で誰が書いたか分からないWiki情報を見て、祖父母を朝鮮人とツィートしていました。
今回、筆者は情報を集めるのに好都合な場所に居を構えましたので、マイクホンダのルーツを突き止める資料にたどり付くことが出来ました。以下2回に分けて紹介します。
先ず、筆者の「第20話-3 慰安婦活動団体(日本国内とホンダ議員)」をご覧ください。
日米開戦により、1942年から日系人が強制収容されます。その記録に、マイク・ホンダ(Makoto)と両親、父親は Guichi、母親は Fusakoと記載されていました。
https://ameblo.jp/study-houkoku/entry-12127665058.html
ノリミツ・オオニシの記事
反日記事を書く記者として有名なノリミツ・オオニシが、2007年5月11日にマイクと共に、90歳になる母親の家に行った。母親が教会に出かけて待っている間、マイクから聞いた話として以下の話を記事にしている。
マイクの祖父母が1900年代初期に熊本から移民してきた。マイクの母親(Fusako)が1916年、サンノゼの日本人街で生まれた。マイクの父(Giichi)がカルフォルニアで生育し数年東京にいた。日米開戦後、コロラドの収容所に送られ14ヶ月過ごし、終戦後サンホセに戻った。父Giichiは、母親に日本語で、マイクと弟、妹には英語で会話した。父は、イチゴの仲買人を営み、その後安定した郵便局員になった。母親は掃除婦として著名人の家に出入りした。
http://www.nytimes.com/2007/05/12/world/asia/12honda.html
マイクの祖父母が熊本から移民してきたことを聞き出しています。この祖父母の名前が分かれば、日本人であったのか朝鮮人であったのか分かるはずです。
捜しますと、末日聖徒イエス・キリスト教会が運営する「ファミリーサーチ」と言う家系を捜すサイトが見つかりました。マイクの父を、オオニシ記者の記事「Giichi Honda」と収容所記録の「Guichi Honda」で検索します。
https://www.familysearch.org/
父「Giichiの検索結果」
Giichi-B(Byron) Honda の死亡記録
1914年5月15日生、1992年7月31日 サンノゼで死亡(母親: Fukuda)
Giichi B Honda(United States Public Records, 1970-2009)
Name Giichi B Honda
Also Known As Byron G Honda
Residence Date 01 May 1996-25 Mar 2008
Residence Place San Jose, California, United States
Birth Date 15 May 1914
Address Continued San Jose, California 95120
Address Date 01 May 1996-25 Mar 2008
2nd Address Continued San Jose, California 95127
2nd Address Date 02 Feb 1991-15 Nov 2007
3rd Address Continued San Jose, California 95123
3rd Address Date 01 Jul 1980-13 Nov 2000
Possible Relatives Arthur M Honda, Arthur R Honda, Fusako H Honda, Jeanne Masako Honda, Jeffrey Y Honda, Mark Yoshikazu Honda, Michael M Honda, Michelle Honda Honda, Michelle M Honda-Phillips, Oshiko Trust Honda, Yoshiko Marie Honda
Michelle M Hondaつまりマイク・ホンダが係累に書かれているので、Giichiは父親であると判断して良い。
他の記憶を見ると、サンフランシスコ移民局の記録には1925年と1936年に入国と書かれているので、オオニシ記者の記事の日本へ渡航した際の出入りの記録と思われる。
父「Guichi Honda」で検索
前記の収容所記録と1930年国勢調査結果が現れる。
「United States Census, 1930」
名前 Güchi Honda (uのウムラウトで記載)
出来事の種類 Census
イベント日付 1930
出来事の場所 Rio Vista, Solano, California, United States
性別 Male
年令 16
結婚歴 Single
人種 Japanese
人種(オリジナル) Japanese
世帯主との関係 Son
世帯主との関係(オリジナル) Son
出生年(推定) 1914
出生地 California
父親の出生地 Japan
母親の出生地 Japan
シートの文字 A
シート番号 10
家族構成
世帯 役割 性別 年齢 出生地
Giters Honda Head M 41 Japan
Tusa Honda Wife F 38 Japan
Güchi Honda Son M 16 California
Yishiye Honda Daughter F 14 California
Sh*Y Honda Son M 3 California
以上から、マイクの父は、「Giichi」(国勢調査のウムラウトは記載あるいは読み取りミス)であり、祖父は「Giters」、祖母は「Tusa」であることが判明。
マイクの祖父「 Gitersの調査」
ファミリーサーチの上記1930年国勢調査の家族構成にGiters Hondaのリンクがあり、それをクリックすると下記情報が現れる。
Giters Honda
United States Census, 1930
名前 Giters Honda
出来事の種類 Census
イベント日付 1930
出来事の場所 Rio Vista, Solano, California, United States
性別 Male
年令 41
結婚歴 Married
人種 Japanese
人種(オリジナル) Japanese
世帯主との関係 Head
世帯主との関係(オリジナル) Head
出生年(推定) 1889
出生地 Japan
移民年 1901
父親の出生地 Japan
母親の出生地 Japan
シートの文字 A
シート番号 10
世帯 役割 性別 年齢 出生地
Giters Honda Head M 41 Japan
Tusa Honda Wife F 38 Japan
Güchi Honda Son M 16 California
Yishiye Honda Daughter F 14 California
Sh*Y Honda Son M 3 California
(原簿記載)
職業 truck farmer(野菜農家)
「Gitersは何者か」
Gitersと言う名前は日本人にないので、何らかの事件があり改名したと思われる。生年が1889年で、米国入国が1901年(12歳)という情報から、カリフォルニア在住のHondaの検索を絞り込む。
この条件に近いのが、第一次世界大戦の徴兵カードに記載された Mineru Hondaである。
生年が同じで出身地が熊本県上益城郡甲佐町(Kosa)である。
Mineru Honda
United States World War I Draft Registration Cards 1917年
名前 Mineru Honda
イベントの種類 Draft Registration
イベント日付 1917-1918
イベント場所 Yolo County, California, United States
性別 Male
国籍 Japan
出生年 23 Nov 1889
出生地 Kosa, Kumomato, Japan
家族(原簿)日本人の妻と結婚し一人の子供がいる(この原簿は1917年6月5日に署名)
住所 Yolo County, California, United States(原簿には、East Woodlandに住居があると書かれている)
職業 farmer(Paramont社に雇用されている)
Giters(Mineru)Hondaは、1889年11月23日に熊本県上益城郡に生まれ、1901年、12歳の時にカリフォルニアに移民していることになります。12歳のMineruは何者か、一人で移民したのだろうか。
(次回に続く)