「在日朝鮮人の法的地位」
 在日の歴史は、1910年韓国併合により、大韓帝国民は日本国籍を与えられ、内地への移住が急増する。治安悪化や日本人賃金低下対策として、何度も朝鮮人の内地への渡航制限が行われる。戦後、GHQによる送還事業で約140万人帰国するが、GHQ統治下の日本(朝鮮半島含む)で、内地への渡航が続く。特に1948年以降の李承晩による弾圧と1950年朝鮮戦争で戦乱を逃れ内地に渡航する朝鮮人が急増する。国籍問題は、「昭和27 年4月28 日(1952年)の平和条約の発効により、日本国は大韓民国を承認し、元朝鮮戸籍の者は日本国内に居住したまま外国人となった。」という中途半端な決着となり、その後も日本社会に影を残すことになった。この元日本国籍を持つ(と認定される)方々が、特別永住者(在日)の方々である。
 以下第50会国会会議録より、経緯をコピペする。巻末には年表を掲載する。


カ 法的地位の問題について
(横山利秋君)
外国人登録上の国籍欄の韓国あるいは朝鮮の記載の問題について伺いたい。先の本会議において、総理は「私どもは朝鮮国籍を認めていないが、別に条約上の義務は生じていない。国内問題として処理するつもりであり、在来より悪い扱い方はしない。国籍変更についても、朝鮮から韓国への変更を進めるが、韓国から朝鮮への変更を断るようなことはない」と述べている。これに対し法務大臣は「韓国から朝鮮への変更は、そう簡単にできるものではないので、原則としてこれを認めない方針である。これは人道に反するものではなく、人権宣言に違反するものでもない。」と述べている。本日(昭和40 年10 月27 日)、統一見解を発表したが、その理由は何か。

(佐藤榮作首相)
あまり違っているとは思わないが、一部、一見違っているような印象を与えるので統一見解を出した。

(石井光次郎法相)
国籍欄の扱いについては変わらない。昭和25 年2月23 日に、韓国への登録の書換えを認める法務総裁談話が出た当時は、我が国は占領下にあり、他国を承認したり、外国人の国籍を判定し得るような立場になかったこと、朝鮮戸籍に属する者は、外国人登録上は外国人と見なされていたものの、日本国籍をまだ有していたことから、朝鮮とか韓国は単なる用語であると言わざるを得なかった。ところが、昭和27 年4月28 日の平和条約の発効により、日本国は大韓民国を承認し、元朝鮮戸籍の者は日本国内に居住したまま外国人となった。これらの地位の者の法的地位は確定されないまま、昭和27 年の法律第126 号により、一般外国人と違った待遇で日本に居ることになった。日本が独立状態にない時期は朝鮮にせよ、韓国にせよ、いずれもいわゆる符牒あるいは用語という状態であった。しかし、現時点においては、朝鮮から韓国への書換えを認めてきた経緯、これが長年にわたって維持されてきた事実、また韓国が実質的に国籍と同じ作用を果たしてきたという経緯等にかんがみ、その記載は大韓民国の国籍を示すものと考えざるを得ないのであるから、この見解を明らかにしたのである。したがって、韓国は国籍として扱い、朝鮮は国籍でないという扱いとなった。

(横山利秋君)
私が質問しているのは、統一見解が出るまでは、朝鮮、韓国、大韓民国という言葉は用語であって、統一見解が出されてから韓国だけは国籍と認めるのか、ということである。

(石井光次郎法相)
法務省が国籍欄の書換えの手続上、国民登録証の提示を要件としたのは、昭和26 年2月の通達からである。一度朝鮮に入れられた者が韓国に移る場合、代表部に登録して国民登録証を持っている者が書換えの申請を行ったのであるから、私どもは、先の国民登録証を持つものと同じと判断し、韓国籍を持つ者という扱いをしている。

(横山利秋君)
昭和25 年2月23 日の法務総裁談話以来、昭和25 年8月15 日の通達、昭和28 年12 月25 日の通達、昭和31 年1月7日の通達、これらすべて通達は用語説を採っているではないか。その当時からも国籍であったというのは矛盾するのではないか。これまでずっと用語説を採ってきたのであり、本日の政府統一見解により、本日から国籍とみなす、このように見るべきではないか。

(八木正男・法務省入国管理局長)
我々が従来用語であるとの見方をしてきた理由は、この問題が国籍の書換えの問題ではなく、朝鮮人の待遇の問題として論議が集中していたことにある。昭和25 年の法務総裁談話が出たときはまだ占領中であり、司令部の勧告を拒否することはできず、いろいろな理由から用語として受け取ってきた。平和条約発効後は、日本は完全に独立したわけであるから、独自の立場で国籍の認定をしてよいことになった。平和条約発効の際に、政府の見解を決めた上で諸般の行政が行われれば何も問題はなかった。入国管理庁は、昭和26年に初めて設立されたのであり、それまでは外国人管理行政というものはほとんどなかった。わずか数百名の全く経験のない役人を集めて入国管理庁を作ったが、それが60 万に近い朝鮮人の問題を扱うこととなった。しかし、当時は密入国、強制退去という問題が山積しており、理論的に国籍の問題を詰めていく余裕がなかったので、これまで用語という立場に立って説明をしてきた。協議の結果、既に本人が自由意思をもって韓国の国籍であると申請し、それを裏付ける国民登録証という国籍証明の文書があれば、これをもって韓国の国籍と認めるのが当然であるとの結論に達した次第である。

(横山利秋君)
昨日までは用語説であって、今日から韓国は国籍となるのか。

(八木正男・法務省入国管理局長)
従来から国籍と見るべきものであったにもかかわらず、入管当局がそういうことを言明しなかっただけであり、既に前から国籍と認めている。

(横山利秋君)
昭和25 年2月23 日の法務総裁談話の要点は「右は単なる用語の問題であって、実質的な国籍の問題や国家の承認の問題とは全然関係なく、『朝鮮人』或いは『韓国人』、『大韓民国人』のいずれを用いるかをもって、その人の法律上の取り扱いを異にすることはない」である。昭和25 年8月15 日付民事第2177 号通達、昭和31 年1月7日付民事甲第2568 号民事局長の回答も、そしてその後もすべて同様である。また、本年(昭和40 年)3月18 日の参議院法務委員会において、八木局長は用語説を採っているではないか。60万人の朝鮮人の人々は、朝鮮、韓国、大韓民国が符号、用語だと聞かされてきて、今日になって突如、昭和26 年の14 年も前に遡って、韓国は国籍だったと言い張るのか。

(佐藤榮作首相)
在日韓国人の問題は、これまでにもGHQ時代からいろいろ変転があり、大韓民国の独立という事態にも、日本政府が扱いをはっきりさせなかったことは残念であった。朝鮮という言葉では明確性を欠くが、大韓あるいは韓国であれば、これは国を表しているから用語としても適当であり、国籍とみなしても適当ではないか、というのが今回の処置である。もちろん国籍選択の自由が前提であり、日本政府が勝手に国籍を決定することはない。

(高辻正巳・内閣法制局長官)
用語だと法務当局がかつて言ってきたことも事実であるが、用語だという見地から国籍的な表示を勝手に変えられるかが本質の問題である。韓国籍を取得する場合、本人の意思だけでなく、韓国政府の認定が備わっているものであれば、日本政府が勝手にそれ以外ののものに変えることはできない。これは原理原則としては当然であって、今日決まったということではない。本日示された統一見解はそれを整理したものである。
外国人登録令上の登録の問題として、当時日本人として、そしてその後も平和条約が発効するまでは法律的には日本人であったわけである。その日本人であった者に対して、実は国内法の取り扱いとして外国人とみなす措置を採ってきた。そのみなすという措置において朝鮮という表示をしていたわけである。したがって、当時、それが用語であったことは言うまでもない。朝鮮という国籍を表示したものではないことは明らかである。朝鮮から韓国に表示を変える場合には、日本政府が勝手にやったのではなく、本人の意思もさることながら、その国と国民との関係が重視されることから、今日は朝鮮、明日は韓国、その後また朝鮮と勝手に変えることはできない。それは国籍として取り扱うべき実態があることから、勝手に変えられないという意味において、統一見解が出されたわけである。

(横山利秋君)
全国の津々浦々の村役場、区役所に至るまで、この国籍問題の紛争がある。政府は一貫して用語説を採ってきた。昨日までは用語だと説明してきておきながら、実は腹の中は国籍だと思っていた、ということなのか。

(佐藤榮作首相)
問題になっているのは、韓国政府の証明なしに、本人の意思だけで登録した時期が昭和24、25 年当時にわずかながらある。このような場合も韓国籍と考えるのが適当である。

(八木正男・法務省入国管理局長)
平和条約発効の際にはっきりすべきであった。入管の怠慢と言われても認めざるを得ないが、我々は止むを得ず用語で処理してきた。今後はこれを国籍として見ることをはっきりさせた。私が前国会において行った「しかし、是が非でも書き換えて欲しいという強い要望がありましたら、私どもはいつでも直すことにやぶさかではございません。」との答弁が朝鮮総連などで印刷され、全国に配られ、市町村の窓口で紛争になったことは、はなはだ申し訳ないと思う。ただし、強い要望とは国籍欄の変更の申請書にいたずらに激越な文言、形容詞を羅列することではなく、本当に胸を打たれる家庭的、個人的理由のある場合、できるだけのことをしたいという気持ちを表明したものである。

(横山利秋君)
民事局に対する照会は、南鮮において出生し、昭和15 年から引き続き日本に在住している朝鮮人が「韓国又は北鮮のいずれの国籍を持つと見るべきか、そのいずれの国籍をも持たないとすれば、いかなる国籍を持つか。」であった。これに対し、民事局長の回答は「平和条約第2条(a)の規定に則り、それらの者の現国籍は一律に朝鮮であるとして取り扱っている。」である。つまり、韓国籍を認めなかった。認めなかったために国家賠償法の適用がされなく却下された。総理は北朝鮮の、朝鮮民主主義人民共和国の国籍を希望する者に影響はないと言うが、問題が起こることを承知で14 年前に遡るというのか。

(佐藤榮作首相)
韓国或いは大韓民国、朝鮮と3つの書き方があるが、韓国及び大韓民国は国籍を表すものであると考える。朝鮮は用語であることに間違いない。
(以上国会会議録)


在日年表(主要事件と法的地位に関連する項目)
1905年 伊藤博文統監就任
1909年 伊藤公、ハルピンで暗殺される
1910年 韓国併合、朝鮮総督府設置
1914年 日本国籍法適用(二重管理)
1919年 総督府、日本への渡航を制限(1922年廃止)
1923年 関東大震災、朝鮮人暴動を理由に戒厳令公布
1923年 朝鮮総督府令第154号で朝鮮戸籍に統合 
1925年 総督府、釜山において日本渡航制限措置
1934年 日本への渡航抑制
1937年 日中戦争勃発
1939年 朝鮮人内地移送計画で日本への朝鮮人労務動員開始
1940年 創氏改名
1941年 大東亜戦争勃発
1942年 朝鮮人への徴兵制導入
1945年 終戦
1945年~GHQによる送還事業で約140万人帰国
1947年 外国人登録令公布
1948年 李承晩が済州島の島民を弾圧、内地に逃れる島民が多発
1948年 大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国が樹立
1950年 朝鮮戦争勃発
1951年 日本出入国管理令及び入国管理庁設置令を制定公布
1952年 サンフランシスコ講和条約発効
 在日韓国・朝鮮人の日本国籍剥奪、 「外国人登録法」公布
1953年 朝鮮戦争休戦
1959年 北朝鮮帰国事業開始
1961年 朴正熙軍事政権
1965年 朴政権と日韓基本条約締結
      在日韓国人法的地位の確定

在日100年年表(民団)
http://www.j-koreans.org/table/100nen_01.html
在日朝鮮人年表
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Apricot/9959/nenpyou.html
朝鮮戸籍
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/koseki_touchi.htm

終わり