こんにちは、森元です。
涼しくなってきましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
秋と言えば、スポーツの秋、読書の秋、食欲の秋…などど言いますが、なにそれ、なんでもいいんじゃねえの?と思っているのは僕だけでしょうか。
結局、涼しくなってきたから色んなことしたくなるよね~っていうだけのことなのでしょうね。
ただ事実として、読書の秋ということでいうと、書籍の出版は7月や8月はその他の月と比べてかなり少ないらしいですよ。
やっぱりあんまりにも暑いと、本を読む気にならないですものね。
ということで、今回は音楽の話は置いておいて、涼しくなってきたこの季節にお勧めの一冊を紹介。
池谷裕二著、「進化しすぎた脳」。
実は以前、別のタイトルの池谷氏の本を紹介したのですが、これまた脳のお話。
脳科学は本当にものすごいスピードで進歩しているので、この本が出版された時からまた新たな発見がいくつもされていると思いますが、この本は講義形式にしているので本当にわかり易いのでお勧め。
色々おもしろいことが書いてあるのですが、その中でピックアップするなら、やはり「世界は脳内で創られている」ということを裏付けるいくつかの具体的証拠。
例えば、「盲点」の話。
人間の目には、「盲点」と呼ばれる、「絶対に見えない場所」というのがあります(何故「盲点」が存在するのかという記述もおもしろいのですが、長くなるので割愛)。
これは簡単に実験で証明できます。
(例えば、以下のHPで)
http://labaq.com/archives/51014471.html
で、その「絶対に見えない場所」がどうして日常生活で認識できないのかというと、脳内で補正されているからなのですね。
「周りがこういう景色だから、ここもこういう景色なのだろう」と脳が勝手に判断して、その「盲点」を塗りつぶしてくれているのです。
他にも同じ目の話でいうと、例えば、色覚。
人間の目にある色を認識する細胞は目の中央だけに集中していて、目の端の色は実はほとんど見えておらず、モノクロだそうです。
これも簡単な実験で証明できるのですが、例えば被験者に正面を向いてもらって、ギリギリ視界に入るよう、色々な色のマジックを一本ずつ視界の外から動かして、何色か被験者に答えてもらう。
これ僕も実際にやってみましたが、全然当たりませんでした(休日の昼間に何やってんだ?笑)。
ですが不思議なことに、色覚できる視界の範囲にマジックを見せてから端によせてゆくと、それはキチンと何色か当てることができます。
これも補正が働いているのですね。
要するに脳が、「今見えたマジックが端に動いただけなんだから、同じ色に違いない」と勝手に判断しているわけです。
ちなみにこの「補正機能」とはまた別に、脳には「選択的注意」と呼ばれる機能もあります。
例えば地下鉄に乗っていて、周りの騒音の方が明らかに大きいにも関わらず友人と普通に会話が出来るのは、耳に入ってくる情報の中から脳が重要なものを「選択的」に処理しているからですね(ちなみに心理学ではこの聴覚における選択的注意を「カクテルパーティー効果」と呼びます)。
他にも沢山具体的な証拠はあるのですが、ともかくこれだけでも、物理的世界と人間が認識している脳内世界は同一では全くありえないということは明らかですよね。
ちょっと話が飛ぶかも知れませんが、こういう脳の機能学の本を読んでいるといつも考えさせられることがあります。
それは、(特に初期の)仏教的哲学は、現代の先端科学とある意味で矛盾していないという事実です。
僕は宗教が好きで(好きなだけで何の宗教にも属していないです、念の為)20歳くらいからコソコソと独学で勉強しているのですが、例えばキリスト教の奥義が「予定説」にあるとするならば、仏教の奥義は「唯識論」にあると僕は思っています。
その「唯識論」をものすごーく簡単に言うと、「あなたが感じたことが全てである」ということなのですが、これ、上に書いたような脳機能学の結論と矛盾してないんですよね。
だってそうでしょう。
人間は脳内で物理的世界を「処理」して、それをその個人の生命活動にとって有利な世界に組み替えている。
仏陀は約2500年前の人だと言われていますが(所説ある)、そんなに昔の人が唱えた思想が現代の最新脳科学と矛盾していない不思議。
うーむ。
鳥肌もんだ。(僕だけ?)

