こんにちは。
森元です。
突然ですが、僕は年に3~4回ほど風邪をひきます。
基本的にまともな生活をしていないので、普通の人よりも免疫力が弱いのでしょうね。
そして現在、絶賛ダウン中。
宝塚でダウンが絶賛されるのは僕くらいのものでしょう。
これだけは言っておきたい。
僕は、人から嫌われることに関しては、誰にも負けない自信があります!
そんな中(どんな中や?)、同じように色々な人から嫌われているお笑い芸人の西野さんの絵が1000万円で買い取られたという記事がヤフーニュースに上がっていました。
僕は時々彼のブログを見たり動画を見たりしていまして、ファンではないにせよ「人と違うことをやっている」ということに対して好感を持っています。
お笑いをやっていて、絵も描いていて、おもしろいビジネスモデルをビシバシと叩きつけ、今やほとんど「思想家」としての側面も持ち合わせている。
なかなか面白いことをやっているなぁ、と。
ただ、先日発売されたその西野さん著の「魔法のコンパス」を読んだり、最近の彼の文章を読むにあたって少しばかり思うことがあります。
それは、
「ああ、こいつ(の思想)は飽きられるだろうなぁ」
ということです。
何故そう思うのか。
誰も興味もないかもしれませんが、説明していこうと思います。
みなさん、色々なものに「飽き」ることってありますよね。
音楽とか食べ物とか、過剰摂取すると、「飽き」がきます。
僕は基本的に、「思想」に飽きることも、同じような現象として起こると思っています。
6~7年ほど前、東大卒、当時神戸女学院大学教授(現名誉教授)だった内田樹という人が各メディアにピックアップされていた時期がありました。
ジュンク堂に行けば彼の新作が一番前に並べられ、コーナーが組まれ、「スラムダンク」の井上雄彦が表紙を描いた著作もあったりと、なかなかのムーブメントが起こっていました。
この方は元々フランス哲学が専門の先生で、合気道や杖道、映画論、文学論、教育論、はたまた政治論(これについて元大阪市長橋下徹さんと物議をかもしてもいました)に至るまで独自の見解で切りまくり、これまでに沢山の著作を生み出しています。
僕も当時内田イズムとも言うべきこの切り口に興味を持って、同大学の彼の最終講義を聴講しに行ったり、著作も(10冊くらいですが)読んだりして、いわゆる「ハマった」時期がありました。
ただ、突然飽きました。完全に。
何故か。それは、
何もかも「独自の見解で切りまくってしまった」からです。
皮肉にも、彼は彼自身の著作「女は何を欲望するか?」というフェミニズム批判の著作中に、このように書いています。
「(前略)…しかし、フェミニズムには根本的な「難点」があった。(中略)ひとことで言ってしまうと、フェミニズムは「あらゆることをその理論で説明できる」という全能感をもたらした、ということである。(中略)この全能感は私たちを高揚させ、幸福にし、そして節度を失わせる。(中略)「節度を失った思想」はゆっくりと、でも確実に「飽きられる」だけである。別にどこが間違っているからということではなく、私たちは「そういうことばづかい」で何かを説明されることにしだいにうんざりしてくるのだ。「うんざり」された思想はかつての知的威信をリカヴァーすることができない。どれほど努力して戦線の立て直しを呼号しても、どれほど喉を嗄らして意識の覚醒を説いても、それは人々をいっそう「うんざり」させることしかできない。…」
彼が、数々の知的ハードルを越えて独自の見解を編み出したことは素晴らしいことです。
そしてそれをいくつかの現象に適応させて、あらたな知見をもたらしたことは事実です。
でも僕は、彼自身の説明通り、映画論や政治論までその「独自の見解」で説明してしまった彼に、「うんざり」してしまったのです。
同じような印象を、僕は西野さんの「魔法のコンパス」を読んで感じました。
彼の「物事をエンターテイメント化する」という切り口は素晴らしいです。
たくさんの物事が「つまらない」状態で放置されているし、その中に西野さんの思想を持って転換すれば面白くなることが沢山あるでしょう。
ただ僕は、それはそこまで「エンターテイメント」と関連させなくてもいいんじゃないかということまで「独自の見解」で説明しつつある彼に、若干の「飽き」を感じ始めています。
内田さんの言う通り、これは「間違っているか間違っていないか」という話ではないのです。
僕たちがどんなにおいしいケーキを見つけても毎日食べるといずれラーメンが食べたくなるように、どんなに心地の良いクラシック音楽を見つけても毎日聞き続けているとロックが聞きたくなるように、それは論理の正しさということではなくて、「ケーキはおいしいけど、三日に一回にしておこう」とか、「クラシック音楽は寝る前だけに聞こう」とかいう「節度」の問題なのです。
節度を失った思想は、ゆっくりと、でも確実に飽きられる。
内田さんの言う通りだと思います。
…では、どうしたら「飽き」を感じさせずにいることが出来るのでしょうか。
それは、
「自分の見つけた黄金律を疑い続ける」
ということなのでしょうね。
自戒も込めて、独り言は以上。
