月島ともんじゃの歴史について
月島は明治時代に隅田川から取り除いた土砂で佃島の南側に埋め立ててできた土地で、対岸とは三か所の渡船で結ばれているだけで、漁師や海上輸送を仕事とする人が多く暮らしていて、船着き場周辺には人が集まり、商店街が生まれました。
また、国策によって鉄工所や機械工場が多く建てられ、多くの労働者が流入していきました。
大正から昭和にかけてさらに人口が増えていきました。当時月島で暮らす子供たちにとって「駄菓子屋」の存在は大きく、遊んでおなかが減ると、わずかなお小遣いで「文字焼き」というもんじゃのもととなったおやつを食べていました。
このことから、もともと漁師や労働者が多い下町で、あまり裕福ではなかったからこそもんじゃがよく食べられていたことがわかります。また、下町に対するイメージの変化の影響が、人々がもんじゃを受け入れていったことに影響していると考えられます。東京の街の都市開発が進んでいき昔とは違う街のように感じてしまう中で、下町は変わらないという親しみやすさが生まれたために、周囲の人々の下町に対するイメージが古き良き町という肯定的なものに変わっていき、そこでよく食べられているもんじゃも人々に受け入れられていったのではないかと考えました。
そこで、現在では月島はもんじゃを観光資源としてどのように使っているのかを実際に調査しました!