こんにちは。
心拍が確認できなくなったのが金曜日でした
泣く暇もなく、午後から仕事を少しして、夕食を作り
週末は友人家族たちとの小旅行へ
月曜日は仕事の出張へ。
そして火曜日の今日はKLCからの紹介状を手に手術日の決定のための診察でした。
自分自身が気持ちと、事実と、向き合う時間も場所も機会もなく生活は続いていきます
事実がわかった直後の夜は
「お願いだから今日一日くらいは自分だけのことを考えさてくれよ」
と思いました。
ふて寝して、寝室に引きこもろうか、とか
日帰り温泉のスパコース一人でやってやろうかとか、
夫に色々お願いして、じぶん本位で過ごそうかと考えてみた
結局、お願いすることを考えたりするのが面倒になり
自分でやってしまい、生活はどんどん進んでいきます
そして、その日の夜、私は夫に伝えたのです
「なんか、でもよかったよ。結論がわかってるからスッキリしてる」
とか
「これで不妊治療は最後だけど、なんかやりきった感はある。良い引き際だよね」
とか
「妊娠に至らなかったけど、でも得たものはなんかあるきがする」
とか、
とりあえず口にしてみた、言葉たち
その時自分がそうおもった、というよりも
流産のこと、不妊治療のこと、ドロドロしたものや
ただの感情をただ吐露して共有したいけど
夫は優しいから何と返答したらいいか分からず
「そっか」「頑張ったよね」とか
返答もなんかありきたりな事言われそうで、
そういう軽いやり取りを考えると、気持ちとのギャップがありすぎて、もっとモヤモヤしてしまうと思い、
だったらここは、終わりの言葉や閉会の言葉のように、
まぁるく収めるようにお話の総括してその場をまとめてしまえ
と思ったのかな。言ってしまった。
なんか良い子な意見にまとめてしまうこと、多いですよね
作文、小論文、読書感想文、起承転結の学びの負の遺産かしら
なんか「それでもよかった」とまとめてしまいがちです
悲しみが深いとき、そうやって生活の時間の中でやり過ごしていくのも一つの方法だと思います
それと同時に、今この時しか感じられないことをしっかり
せめて自分は悔しかったり、悲しかったり、怒ることをしておかないと
なんだか自分の中でも忘れてしまいそうです。
何が嫌いだったのかを知ることで
その嫌いのこと、嫌な体験を自分にも他の人にももう体験させない優しさが残るのではないか、と思っています
不妊治療を子供を授からず終えること
全然よくなかったし、努力しても願っても叶わないことあるなんて
本当にムカつくし 悔しい
真冬の朝5時おきで電車に乗って通った日々
判定日の緊張しすぎて気持ち悪さ
仕事も治療が気になり身に入らず
なんだか全てが中途半端な気がしてしまいました
体外受精の治療をもう終えるんだ、
という一つの区切りを私自身感じています
ここまで至るのにすごい時間がかかりました
もともと保険適応内での3回の移植で終わりにしよう、と決めたけど
せっかく頑張って受精卵になった凍結胚をこのまま
寒いまま破棄してしまうのはなんだか、可哀想で
温かいお腹の中で少しの間でも温かくして気持ちよくなってもらって、そこで卵がどうするか決めたらいい、
と思ったのです。その気持ちは今も変わらないので
卵が決めたことなら仕方ない、と思っていますし
卵が暖かく眠りに落ちたなら、お空に還ったなら、
なんか私も夫も、それで良かったと思えています
卒業できないまま治療を終えるのは、
もう全然スッキリしてないし
この経験がなにか自分に良いことになったなんてまだ思えないし
いまでもじゃあ他のクリニックに転院しようか、とか
タイミングや人工授精してみるか?と
考えてしまいます。まだ答えは出ません
自分が楽な方法だけで今は良いと思います
仕事が忙しい時期で自分の中で何層も別のレイヤーの時間が流れている気がします
誰にもいえない中で、よく頑張ってるよ。自分。
そして、同じような経験をしているこれを読む方々も
よく頑張ってるよ。十分頑張ってるから、いいんだよ。何を考えても。
