映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明」(2013年4月15日~9月1日)を再録


2011年4月4日(月)~7日(木)


4日(月)

・ジブリでは美術館短編作品「たからさがし」のスタッフ試写が行われたが、高畑さんが不在なので、見るのはやめておく。高畑さんが帰国したら一緒に見ることにしよう。

・昼飯時、公衆電話から携帯に着信が。高畑さんの帰国報告であった。

・夕食を食べていると、携帯に着信。また公衆電話から。高畑さんだ。「いやぁ、あの、家に着いたんですが、鍵をスーツケースにいれたまま、自宅に送ってしまって。ハハハ(笑) 家に入れなくて」と。奥さんから何か連絡が無かったかと聞かれるも、何も連絡は来ておらず。「もう少し待ってみます」と。

5日(火)

・昼過ぎに アニメーターの安藤さんと三鷹ルノアールで話す。「かぐや姫の物語」への参加を、ようやく決意してくれた。

・携帯に制作の松尾さんから着信。松尾さん「高畑さんが、スタジオに来てから4時間、田辺さんを怒り続けてて。いつ頃、帰ってこれますか?チェックもできなくて、原画に手空きが出たんで、ひとまず、佐々木さんと濱田さんには帰ってもらっても良いですか」と。すぐ帰ると伝えて、電話を切る。

・松尾さんを下の喫茶店ハイクに呼び出し、諸々聞く。問題は、パイロットフィルムの色と処理に関してのことで、スタジオに入ってから4時間強、怒りっぱなしだったようだ。要は、田辺さんの色と処理が特殊な方向に行き過ぎていて、①映画的な流れを勘案していない!②処理も一定のルールがあるわけでなく、量産化についても全く考えていない!③男鹿さんの美術もPhotoshopでモノを足したり色を変えたりして共同作業というのを全く理解していない!ということのようだ。(以下、松尾さんメモより高畑さんの発言)・キャラクター設定がいる。・キャラクターには固有の色が必要。観客に認識してもらうため。・この色だと、相模には見えない。・どこかで妥協・折衷案を考えるべき。・それが共同作業ということ。・映画を作るというのは、ある意味、観客との共同作業ということ。・一人で作ってるんじゃないんだから。・そんな1カット、1カット凝ったことをやって、成立すると思ってんの?・ちなみに、僕は有効だとは思わない。・スタイルだけを問題にしたくはない。・(田辺さん)複雑にしているつもりはない。・(高畑さん)普通から見たら複雑怪奇ですよ。・これ以上、男鹿さんと進められない。・無駄になるだけ。どうしたらいいのか分からない。

・スタジオに戻り、頭を整理してから、高畑さんを食事に誘い出す。高畑さんのお気に入りのカレー屋へ行くが、閉店間際だったらしく、食事を済ませてすぐに出る。そのまま、「今日はもうスタジオを出て、高畑さんの家の近くでコーヒー飲みながら話しましょう」と、保谷駅近くのココスへ誘う。ここで四時間、話を聞く。

・四時間の話では、冒頭1時間ほど高畑さんも熱くなっていた。「もう、この作品できませんよ!」、「やめましょう。できない!」等の発言が出てくる。じっと聞き続け、高畑さんが問題だと感じることは整理できた。先の記載どおり。これをどうやって解決するか。一方で、明日、田辺さんの話も聞いてみることにする。一気に疲れる。

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6日(水)

・朝一、田辺さんと話す。高畑さんが怒っていたことに関して、田辺さんも相当の憤りがある様子だった。田辺さん「高畑さんが監督ですし、監督である高畑さんに僕は単に提案しているだけですよ。あれが絶対良いということじゃなくて、ひとつの提案なだけです。ダメならすぐに引っ込めます。それをああいう風に言われたら、こちらは何も提案できなくなりますよ。色味も、高畑さんが『今回は自然な色合いで行きましょう』と言えば、それで終わる話ですよ。問題になったカットも、それまでずっとチェックを受けながら、進めてきたんです。なんで、あの時点になって怒り出すのか分かりませんよ」と。ここまで怒っているのは初めてかもしれない。けっこうな大問題である。

・所用でジブリへ行った際、渡辺さんに「もう、ダメかも。この映画。出来ないんじゃないかな」とグチる。

・高畑さん、田辺さんと話すのは、夜に、武蔵境で、と決め、ジブリから帰りの足で、駅前のモーゼへ引き込もる。事態をどうやって収めるか、1時間半ほど、無い知恵を絞る。

・高畑さん、田辺さんの考えを聞いて、問題の本質は分かった。要は、いつもと同じ。高畑さんは、「これで映画として成立すると思っているのか!」ということを問題にしている。一方、田辺さんとは「ひとつの提案じゃないか」という考え。思い返せば、キャラクター作りの際、イメージボードの際、絵コンテの際、その都度、初期段階で同じ構造の問題が生じており、今回の事態は、何ら特殊ではない。というアプローチで考えてみる。いつもと同じ構造の問題が、色指定と撮影処理の段階になって噴出しただけ。男鹿さんとのやり取りの問題は、例外的なものとして別個に考える。

・高畑さんのフラストレーションの理由は、抽象的に大別してしまえば、田辺さんの①経験の無さ、②主体性の無さにある。絵を描かない監督である高畑さんにとって、この二つは頭痛の種なのだ。

・①田辺さんの経験の無さについて。田辺さんが、主体的立場で画作りに参加した長篇アニメーション映画は、「となりの山田くん」の一本。しかし、「山田くん」は、キャラクターは決まっており、スタイルも高畑さんの中にイメージがあった。映画はエピソード形式で進み、そのエピソード間に通奏低音的な感情の流れはあったにせよ、それはひとえに高畑さんの演出の賜物だった。田辺さんの立場は、「ドラマ的な流れ」を意識する必要はなく、エピソードがエピソードとして完結していればそれで良い、という仕事であっただろう。

・しかし、今回の映画はドラマ的要素が強い。アタマからオシリまで、人物がどのように行動し、感じ、葛藤し、克服するかの設計がなされた2時間の脚本を映画化する作業である。「ドラマ的な流れ」を作るには、「ドラマ的流れ」がイメージできているかどうかが前提だ。この流れにお客さんが付いてきてくれないといけない。1カット1カットが、1シーン1シーンが奇抜で面白ければ良い、というものでは無い。

・しかし、今回、田辺さんの提案してきた画作り(ここに至っては、色指定)は、自然な色合いではなかった。夜の宴会シーンで、ロウソクに照らされた貴族たちの顔が、緑色だったり、紫色だったりした。田辺さんは「子どもが近寄り難い、大人な雰囲気」を出そうと思ったらしい。では、その前後のカットも同じくするのか、シーン単位ではどうするのか。ここらの設計がなされないまま、1カット(部分)として、高畑さんに提案してくるわけだから、高畑さんが困惑したのも無理はない。田辺さんは「提案しているだけ」と言っても、高畑さんからすると「これで映画を設計しろと言うことか!」となる。こちらの頭も、痛くなってくる。

・もちろん、どんな画作りでも、映画にはなる。が、高畑さんの頭に前提としてあるのは、数百スクリーンで公開される商業映画である。こういう問題が起きると常に高畑さんは、「ぼくは商業映画を作っているという意識を決して忘れたことはない」という。商業映画と言うのは、観客に理解してもらわないと意味が無い。理解されなくて良いというのなら、自主映画を作れば良い。

・まだ理解しきっていないが、田辺さんは、天才なのだろう。ある部分において、多くの人と異なる感覚を持っている。ここが高畑さんの悩みの種にもなっている。高畑さんが付き合ってきたアニメーターや演出家であれば、ポンとたたけば「ポンッ」となるのだが、田辺さんからは、これまで聞いたことの無い音が返ってくる、という感じだろう。そして、自分がひとと感覚が違うことを、田辺さんが分かっているかどうかは疑問だ。高畑さんと田辺さんの間には、養老孟司さんの言うところの「バカの壁」が存在しているのかもしれない。共通の記号がないわけではないが、少ない。

・高畑さんも、田辺さんの才能を面白いとも思っているから、「映画として成り立たないんじゃないか?」という直感があっても、「もう少し探れば、面白い画面になる可能性もあるんじゃないか?」と反応する。年齢を重ね、色々な絵画や音楽その他を経験してきて、「昔だと許せなかったものが、どれもそれなりに面白みがあると思うことが増えた」らしく、こういう場面で判断を留保してしまう理由は、そこにあるのじゃないかと邪推する。だから、田辺さんの試行錯誤を端から否定するのではなく、その試行錯誤に、悩みながらも付き合っている。付き合ったことが、田辺さんにとっては「なんで今さら否定するのか。ずっと確認をしてもらいながら進めてきたじゃないか!」ということになったのだと思う。

・田辺さんは、全体を見通して提案しているのじゃなく、「全体を見通すのは、監督、あなたの役割でしょう」という態度なのだろう。そうではないと言うだろうが、結果としてそういう態度になっている。「ダメだったら、引っ込めます」とはいっても、成立したら良いなぁと思っているからこそ提案しているわけであり、提案される側としては、高畑さんが言うように「強烈に主張を感じる」ことに繋がる。田辺さんの口からは「ダメだったら書き直しますので言ってください」と出るが、田辺さんの絵からは「俺を使え!」という主張が強烈に感じる。田辺さんの場合、考えて考えて出してくる。そして、それに『ダメだ』と言った場合、違う方向があるか?それが無い。少なくとも本人は「無い。これしか描けない」という。ということは、田辺さんが言っていることはこういうことである。「これしか描けませんが、ダメだったら言ってください。これは単に提案であって、いつでも描き直しますから。でも、これしか描けませんけど」と。こういうことを言っていることが田辺さん本人に理解できていない。高畑さんが怒るのも無理はない。

・共同作業に関しても、スケジュールに関しても、一顧だにしない。共同作業化や、スケジュールについては、自分の考えることではないと思っている。もしくは、どうにかなると思っているか、どうにもならなければ、時間をかけりゃいいと思っている。結局、お金とかスケジュールとかどうでもよくて、良い作品を作れば良いのだという考えである。この開き直りに対して、多くの人は、付き合うのか、離れるのか、選択を迫られる。この現場でも、原画スタッフだけでなく、全工程において、離れていくスタッフも出てくるだろう。どのくらいフォローできるか。西村にとっても、かなりな仕事になると思う。

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7日(木)

・鈴木さんに時間をもらっていたのだが、多忙とのことで30分だけ。もう少し前向きな相談ができると思ったが、ひとまず、高畑さんが怒った件に関して報告しておく。また、パイロットフィルムの形式と出席者の確認も。パイロットフィルムに関しては、氏家会長がなくなったことを受けて、ジブリの責任者でもある宮崎さんに所長の立場として見てもらうことになった。「宮さんと俺だけで見る。でも、高畑さん、嫌がるだろうな。怒りだすかもしれない。西村、高畑さんの反応を考えて、うまくやって」と。そして、「あ、あれも、西村に預けよう。」と言って、氏家さんの遺髪を預かる。「氏家さんの遺髪を、主治医の久保田先生に預かった。中に手紙も入ってる」と。それと、鈴木さんの書いた「熱風」掲載用の氏家会長追悼原稿を渡され、「西村も読んでおいて」と。左手にはカバンを、右手には氏家会長の遺髪を持ち、かぐスタへ。

・かぐスタへの帰り道、「宮崎さんがパイロットフィルムを見る」ことに、高畑さんが反発しないように話す方法を考えながら。

・スタジオに戻るや、談笑していた高畑さんの目の前に正対して腰掛け、かなりゆっくりと話した。西村「高畑さん、さっき、鈴木さんと、ちょっと話してきたんですよ。 28日の、パイロットフィルムの件で、相談があって。」 高畑さん「うん。」 西村「氏家さんに、見てもらうつもりだったわけですから。でも、亡くなってしまって。」 高畑さん「そうですね。」 西村「鈴木さんとしては、氏家さんがいない今、会社の責任者でもある、宮崎さんに、所長の立場として、見てもらうべきだと。」 高畑さん「………………」 西村「高畑さんが何をやろうとしているのか、宮崎さんにも見てもらう。そういうことになりました。」 高畑さん「……はい……。(腕を頭の上にのせ、溜息) ふぅーー。あれ?28日って、なんでしたっけ?」 西村「パイロットの試写です。」 高畑さん「それって?」 西村「完成版です。ラッシュじゃなくて。」 高畑さん「完成版ですね。わかりました。」 西村「それと、預かり物があるんですよ。 (と、袋を渡す。)」 高畑さん「なんですか、これ?」 西村「鈴木さんから、預かりました。鈴木さんは、久保田先生から預かったそうです。  氏家さんの遺髪です。」 高畑さん「(袋をあけながら、目を丸くして西村を見て) え………?(もう一回、袋を見て、その後、もう一度、西村を丸い目で見て)……? うーん……これ、どうしたら、いいんでしょうね。こういうの(笑)。」 西村「どうするんでしょう。」 高畑さん「あっ、手紙が入ってる。(と、集まってきたスタッフにむけて読み上げる) ※氏家さんの最後の一週間のエネルギーは、すさまじかった。※竹取物語を、本当に楽しみにしていた、という内容」 高畑さん「この手紙は、祭壇に飾りましょう!」 西村「神棚にしますか。無宗教で。」 高畑さん「そうですね。無宗教で。」

・その後――。高畑さん「どうしよう。氏家さんの原稿ですけど。みんな何書くんでしょうね。」 西村「鈴木さんの原稿、読ませてもらいましたよ。もう出来てました。」 高畑さん「え、もう出来てるんですか!?ちょっ、ちょっと、教えてください!」 西村「内緒で読みますか?実は、今、持ってるんです。」 高畑さん「読ませてください!」 (読み終えて) 高畑さん「力、こもってましたね(笑)」 西村「そうですね。」 高畑さん「これもまた記念すべき原稿だから、こっそりコピーをいただきます(笑)」と。 無事に終えた。

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この後も、パイロットフィルムの制作は続く。しかし、この期間の記録は、ここでストップしている。このパイロットフィルムの完成後に、「かぐや姫の物語」の現場に、さらなる大問題が噴出したのだ。