映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明」(2013年4月15日~9月1日)を再録

(パイロット版スタッフMTGの続き。)


 その、僕自身も少々、他のジャンルに口出ししたりして、絵画とか。そういうときに言ってたんだけど、油絵で陰影がつくとか、そういうものって、あの、平面のくせに、それを立体的に見せるっていうことは、空間を作り、そこに立体的なモノを置くってことは、平面なはずなのに、物質感をちゃんと感じさせてね、その、描かれている物がみんな「オレは本物だぜ!」って叫んでるんですね。こう、画面の中から。それをとことん追求したのが西洋絵画だったんじゃないかなって気がするわけ。だから、「オレは本物だぜ!」って叫ぶから、下手な絵で、陰影はついてるけど、ま、それが上手くね、ヘタウマになって、なんか雰囲気が出ていれば別ですけど、そうでなかったら、なんか下手だねって、すぐ分かっちゃうっていうかな。下手っていうより、「オレは本物だぜ!」って叫ばざるをえないから、叫んでるわりに本物じゃないねぇって、こちらが思ってしまうとかね。それから、そういうことを、本物っぽいかどうかっていうことを見る側が気にしてしまうと、見るときに。そんな気がするんですよ。詮索したくなるっていうかな。これ、ほんとに本物のようになっているかなって。気になってきちゃう。

 ところが、子どもの絵から始まって、線なんかで捉えた、あの、線って、線なんか、輪郭線って本当はないわけじゃないですか。人間の観念ですよね、線があるように捉えるっていうのは。そうすると、線なんかで描いた絵っていうのは、最初から誰もそれを本物だと思わないですよね。本物を写し取ったんだなという、本物を見ながら描いたんだ、或いは頭の中に浮かべた何かを描いたんだなってことは分かるけど、それそのものが本物だとは思わないですね。そうすると、そういう絵というのは、裏側の本物を想像しようとする力が働いてね、いちいち細かい詮索を行わないっていうかな。これちょっと、おかしいんじゃないか、とかさ。あの、あんまり言わないきらいがあると。言うことはあります、もちろん。上手い下手あるし。あるけど、子どもの絵なんか見たときに、面白いねって言う時なんて、そこに本物らしいものが描かれているかどうかなんて、誰も問わないですよね。

 そういうことで言うと、そういうものを、アニメーションとしてやってやれないだろうか。そして、そのときに大事なのが、デザインとかパターンとかで捉えたものも、まぁ、大きく言えばそれの一部なんだけど、でも、そのときには一種の抽象化が働きすぎてて、裏に本物があるということを考えるよりは何か、ちょっと塞いじゃっているというかな、そのデザインが、パッと。ところが、サッサッと描いた線とか、その、要するにヨーロッパで言うとクロッキーとか、それからその、結構線で捉えた、所謂、石膏デッサンとかいうんじゃなくて、あの、歴代の絵描きがやった、その、線で捉えた絵なんかっていうのは、なんか上手いねぇ!とか感じが出てるねぇ!とかいって、なんの感じが出ているのか、ほんと、知らないわけですよね、だって、本物を見てないんだもん。だけど、これだけ見て、なんか気分が出てるなぁっていう。

 そうすると、それはすごく、精神衛生上に良いわけですよね、見てる人にとっては。重くないから。物がドーンとあるとさ、対面せざるをえないじゃないですか、油絵なんか。鮮やかで、深い精神性が表れているとか言ったってさ、その人に会ったことが無いわけだから、本当にそうなのかなぁとかさ、わけわかんなくなっちゃう。そういうことないですよね、線で捉えたやつっていうのは。あの、そんな風に思ってないくせに、なんかいつのまにか、これ凄く実感がこもってるなぁと、見る側が嬉しくなるっていうかな。そういう高揚が、良さがあるんじゃないかなって。だから、そんなものが上手く出来ないかなぁっと、所謂デザインにしてしまうんじゃなくて、実感がこもった線の絵とか、なんとかっていうのが、あり得るんじゃないかなって。

 その一部分をやってみせてくれた人として、全部が全部そうだったって言うんじゃないけど、フレデリック・バックの「木を植えた男」なんていうのは、背景なんかうんと省略しちゃって、なんていうかな、線で描いて、あの、どんぐりを塗り分けるところがあるんですけどね、机があって、で、こう持って、こう調べて、こう置いたりして、或いは犬が寄ってきたら、そこに、こう投げて、お皿なんかを。そうすると、映っているところだけを、こう描いているわけですよね。で、あと何も描いてなくて。そうすると、その、動きが付くことによってそこに空間が立ち現れるっていうかな。空間を設定して、そん中で物を動かしているんじゃなくて。物が動いたり、或いは、こういうものがグルッとねじれたりすることによって、そこに空間が現れるっていうかな、見てる側に。だから、そういう点では、バックさんていうのは、そういうところで評価されているかどうかっていうのは怪しいんだけど、そういうことをやった人って、そんなにたくさんいたわけじゃないなぁって思うんですよね。そこらへんなんかもヒントになってて。

 そうこうしている頃にちょうど「山田くん」だったんですね。で、「山田くん」ていうのは、あれも、すごくデザインぽいように見えるけど、いしいひさいちさんの絵っていうのは。でも、ちゃんと実感が出るんじゃないかって思って、処理から何から全部、田辺くんの力がすごく大きかった(田辺さん「それほどじゃないですよ」)えっ?大きかったわけなんだけど、それによって、やってもらったやつの実際の動きやなんかつけて、実感こもったっていうのは、今、ここにいて言うのもおかしいですけれど、たとえばその、おかしくないか、橋本さんにやってもらったところなんかさ、要するにすごく実感がこもっているわけなんですよ。それはキャラクターが漫画っぽい、パターンぽいということとは何の関係もなく、ちゃんと受け取れるっていうかな、見てて。そういうのって、キャラクターがどんなにパターンぽいかということに関係なく、動きなんかでも、そういう実感っていうものは込められるんじゃないかなっていうね。それはさっきちょっと言ったように。でも、あれを本物だって思って描いてないところが良いですよね。なんか本物がちゃんとあって、別に。それをこう、ああいうかたちで、こう、捉えてるんでっせ、っていう感じが、したでしょ?ハハハ(笑)

 でも、そう思ってくれない人も世の中にはいてですね、ハハハ(笑)。あれをすごく軽んじる人も結構な数いるんですけれど。軽んじるって、ハハハ(笑)、やっぱりジブリアニメをちゃんと描かなきゃ、とかなんとか色々言われて(笑)ご馳走にしてくれないとね、あれじゃお茶漬けに過ぎないんじゃないか!とか。まぁ、でも、そういう試みが、それなりの、あれから時間ももう経っちゃって、その間に、田辺くんは田辺くんで、色んなコマーシャルやなんかのときにまぁ、それに近いスタイルなんかもやってきているわけだけど。

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