映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明」(2013年4月15日~9月1日)を再録



パイロット版オールスタッフMTG


日時:2011年1月17日(月)

   14:00~15:00

場所:かぐや姫スタジオ

参加者(敬称略): 高畑勲、田辺修、橋本晋治、佐々木美和、濱田高行、西村義明、松尾明子(計7名)



(以下、高畑さんの発言)


 もう実はその、すっかり忘れちゃって。あらゆることを。なにしろ、「山田くん」をやってから、もう何年?十年以上になるんですね。全然やってない。いやその、自分でもこういう、集まってもらって抱負を述べるとか、やったことないんですね。やったことあるかもしれないけど。ま、でも始める前に、すぐに直接打ち合わせをする前に、集まってもらったほうがいいんじゃないかな、と思いながら、どういうふうにちゃんと言えるか、僕自身もわかっていない。それから、田辺くんに説明してもらうとしても、これもまたあんまり上手じゃない(田辺さん「無理です(笑)」) だから悪いですけど、くだらないことを結局言って、なんにも意味がなかったと、思われるかもしれないけど、しょうがないから聞いて下さい。

 というのはその、「かぐや姫」をやろうと思ったのはですね、実はすごく古くて、やろうと思ったんじゃないな、あの、ごめん、やろうと思ったことがないですね、一度も、実は。やったら面白くなるんじゃないかっていうふうに思ったのは早いんです。それは東映動画に入ったときに、入ってそんなに時間がたってないときにね、面白いエピソードだから知ってもらっても良いかと思って言いますけど、東映動画ってのは、「かぐや姫」を、なんか、モノにしたいっていう意思があったんですね、やっぱり。そういうもんなんですよ、これ、あの、有名だから、ハハハ(笑)

 でね、あの、演出助手として入ったんだけど、企画案を出せと言われて、で、そのときに考えたアイディアみたいなことが、実は、これの元になってるんです。で、それ、ボツで、ダメだったんですけどね、全然。あの、相手にされなかったんだけど(笑)。

 そのあと、具体的にするときに、内田吐夢というすごく有名な監督なんですが、まぁ、ご存じないかもしれないけど、戦前から、(田辺さん「実写の人ですね」)えぇ、うんうん。内田吐夢というのは、今、生き残っている映画で言ったら、「飢餓海峡」とか、そうなのかな。(西村「宮本武蔵」)あ、そうか、「宮本武蔵」もそうか、錦ちゃんの?(西村「はい」)うん、あれ、面白いですよね。なにしろ大監督なんですよ、内田吐夢といえば。

 それで、その、森やすじさんって知ってるでしょ?その森さんはですね、「宮本武蔵」の決闘がありますね、巌流島の。あのときにカモメが、こう、空を、こう、橋のほうなんかを通過したりしてるんですが、それ、森さんのカモメを合成してんですよ。森さんがアニメーションで描いたやつを。

 その内田吐夢という人がですね、誘いに乗ったんでしょうね、東映動画の。たぶん今から考えたら、本人が作りたいと言ってたけど、やってもらえないかということを言われたんだと思うんですよ。東映に属していましたから、その監督。で、森さんを中心の作品を作ろうと思ったんだけど、全員を集めてですね、あの、集めてじゃなくて、「関心のある人は、集まれ!」で、「君たちの意見を聞こう」ってんで。で、みんな応募したりしてね。僕はもう出さなかったんですよ。出さなかったんだけど、みんな出して、冊子を作ったりしてね、企画案の、かぐや姫の。でね、内田吐夢さんは、みんなに、(内田吐夢の声真似をしながら)「わたしは~、かぐや姫というものは~、観音様だと思うんだけど」……え?どういう意味なの(笑)分からず仕舞いです(笑)。いつのまにか立ち消えてしまったんです。いや、その話は全部、余談でした。

 でも僕としては、うんと早い段階からね、こうやったらひょっとしたら面白くなるんじゃないかな、と思ってたんですけど、ま、ただ、そんなものはやるつもりは全然なくて、今にいたって、とにかく最近ね、「ずっと仕事をしてない」とか言われて、で、前にやってた、準備しかけてた企画がどうもうまくいかなくて、とかさ、色々あって、もう、出してしまった。で、エへッ(笑)で、出してしまった、んだけど、今でも面白くなるんじゃないかな、と思ってるんですよ。そりゃそうですよね、ヘヘッ(笑)面白くならないと思ってやっているのも辛いもんな。で、それで結局、始まって、自分のエネルギー不足で、脚本なんかにも、坂口さんっていう人に参加してもらって、脚本できて、一緒にやって、で、コンテも遅々として進まず……、なんだけど、考え方は色々と含まれているものが今すでにあると思うんです。

 えっと、僕自身としては、日常的なものをたくさんやってきたんです。日常的って、あんまり限度を超えると日常的でなくなるんですね、面白くやろうとしすぎたりして、してはならないってところはたくさんあるわけで。たんたんとしているのが日常である、その一種たんたんとしていることにも価値があるという考え方を、まぁ、もたなきゃいけない。ところが、この「かぐや姫」をやるときに、だいぶ違ってるなと。自分自身も思っているのは、意外とね、色んなことができそうな気がするんですよね。コンテを読んでもらって、そんな感じも、ひょっとしたらしたかもしれないな。その、あんましてないかもしれないから分かんないけどね、アハハハ(笑)だから、こう、演技の幅なんかもね、意外とその、日常モノをやってたときと比べたら、もうちょっとその戯画化されてるっていうかな。その人がどんな気持ちになっているかっていうのが、分かり易い芝居なんかができるんじゃないかな、なんて思って。で、まだ断片なんだけど、そういう気持ちでやってきてます。

 それで、一番大事な、作画にわたって一番大事なことは何かっていうと、それは、だいぶ前からそうなんだけど、自分の企画をやったときに、はっきり言っちゃいますけど、要するに田辺修という人をですね、中心にして、そのやったらどうか、という。その動きやそういうものは、色んな才能ある人達の力を借りなきゃ話しにならんけれど、まぁでも、作品の、こう、なんというかな、あのまぁ、感じ、ですね。感じみたいなものは、その、こんな作品なんだ!っていう感じを、こう、作り上げるのは、田辺くんの才能を中心にやろうと思ってきて、これも、ま、そうしてきたんですね。そうすると、そこでの問題って何かっていうと、あの、彼の問題意識というのは、彼から直接、言葉で聞いたことはないけれど、「山田くん」のときは、そういうものがすでにあったから、ああいうものができたんですが。


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