映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明」(2013年4月15日~9月1日)を再録


 「かぐや姫の物語」で八方塞がりになることは多々あったが、ぼくは都度、色々な方に相談しつつ、愚痴を聞いてもらいつつ、切り抜けてきた。パイロットフィルムの制作すら危うくなったあの時、ぼくが相談したのは、当時のスタジオジブリ制作部長・渡辺さんだった。渡辺さんには、あの頃、本当にお世話になっていたのだ。

 鈴木さんに「お前、ココ、大丈夫か?」と言われた打ち合わせの翌々日、2010年12月24日に、渡辺さんは僕のために時間を作ってくれた。ぼくらはJR東小金井駅の北口にあった「喫茶モーゼ」で会った。ぼくは渡辺さんに事情を話した。渡辺さんは煙草を吸いながら、眼鏡越しにこちらをちらと見つつ、うんうんと頷きながら聞いてくれた。

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(喫茶モーゼ。駅前再開発で取り壊された)


西村「もう、ダメかもな……(苦笑)。いい加減、疲れちゃって。こうなる気がしてたんです。鈴木さんって、中途半端なままにしておきたいって、そういう事あるでしょ。」

渡辺さん「分かるよ。まぁ、でも星野さんと玉川さんの立場も、分かるからさ。いやぁ、厳しいね。厳しい状況だね。でも、結局は鈴木さんでしょ。パイロットを作るにも、本編作るにも、鈴木さんの協力が無いと進まないからなぁ。」

西村「そうですよねぇ……。だから、もう、ダメかもなって。だって、高畑さんの映画の見通しを立てるって、無理ですよ(笑)。見通しなんて立ちませんよ。見通しが立つような人だったら、この10年に何本も映画を作ってますよ(苦笑)。高畑さんの映画を作るためには、計画なんて無意味なんです。とにかく、やるしかないんです。でも、そんなの誰もわかってくれないんです。」

渡辺さん「誰か、いないの?西村の状況を理解できる人。」

西村「そりゃ、鈴木さんしかいません。高畑さんと組んだの、鈴木さんしかいないんだし。」

渡辺さん「だろ?だったら、なんとか、頭下げてでも、鈴木さんと手を握らないと。」

西村「渡辺さんも分かってるでしょ。正直、もう、鈴木さんとまともに話せる気がしないんですよ。手を握るなんて、到底……。」


 あまり詳しく述べようとは思わないが、あの頃、ぼくは鈴木さんを避けていた。

 遡ること2006年、映画「ゲド戦記」と「王と鳥」の宣伝を終えた後、僕は鈴木さんから、プロデューサー補になれと任ぜられた。宮崎さんが作る「崖の上のポニョ」で鈴木さんのアシスタントをしろ、とのことだった。その日から僕は、鈴木さんと全ての行動を共にした。

 それから間もないある日、ぼくは鈴木さんの部屋に呼ばれた。今度は、高畑さんの映画を作れとの指令だった。毎日10時間、高畑さんと会い、映画を立ち上げるという仕事だった。その日から僕は「崖の上のポニョ」で鈴木プロデューサーの補佐をしつつ、毎日、高畑さんと10時間話すという、物理的に困難な仕事を両立させるべく、睡眠時間を削った。

 結果、案の定というべきだが、特にプロデューサー補の仕事が疎かになっていく。鈴木さんと過ごす時間は減っていった。そして、あるとき、鈴木さんから呼ばれ、仕事上のミスを責められた。居てほしいときに居ないプロデューサー補など意味がない。結果、ぼくは「ポニョ」のプロデューサー補を降ろされた。不本意だった。もっと色々とやりようがあったのだろうが、当時の僕には、あれが限界だった。それ以来、ぼくは鈴木さんを避けるようになっていた。それは、意識的なものでもあり、無意識的なものでもあった。

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