映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明」(2013年4月15日~9月1日)を再録


 ある日のこと、僕はお昼から2つ、3つ打ち合わせがあって、ジブリの第一スタジオで打ち合わせをしていた。すると、打ち合わせ中に僕の携帯電話がなった。打ち合わせ中だから出られないでいると、またブルブルとバイブ音である。画面を見ると、「かぐや姫スタジオ」との表示だ。僕は電話に出た。


松尾さん「西村さん、打ち合わせ中すみません。あの、その打ち合わせ、いつ終わりますか?」


 松尾さんの声は焦っているようだった。


西村「もう少しで終わると思うけど、どうかした?」

松尾さん「高畑さんがずっと田辺さんを怒り続けてるんです。もう4時間くらい。ぜんぜん作業も進んでいないし、西村さん帰ってきてください!」

西村「4時間?わ、わかった!」


 ぼくは打ち合わせを途中で切り上げて、急ぎ、かぐスタへと戻った。

 かぐスタのドアを開けると、スタジオ内が不気味に静まり返っていた。その静けさ、明らかに何か変だ。高畑さん、田辺さんともに、何事も無かったかのように、いつもどおり机に向かってはいる。その後姿からは、惨事があったようには思えない。ただ、明らかにおかしな空気が流れている。ぼくは、松尾さんのほうをチラと見た。松尾さんは何も言わず、訴えるような目つきで頷いた。

 僕は、何も知らぬ振りをして、高畑さん、田辺さんに声をかけようと、ゆっくりと近づいていった。しかし、途中で近づくのをやめた。机に向かう田辺さんの後姿。その彼の耳が、真っ赤になっていた。ぼくは、何となくだが、話しかけるのをやめた。

 絵コンテは、この4時間激怒事件に象徴されるように、かぐスタに移っても、まったく順調には進まなかった。これが延々と、本当に、延々と続いた。高畑さんが怒るのも無理はない。高畑さんがいくら説明を尽くしても、田辺さんは「実感」が沸かないの一点ばりで、なかなか理解してもらえない。田辺さんが「実感」を掴んだシーンは、一気に絵コンテが進むのだが、またそこで立ち止まってしまう。あの頃を思い出すと、今でも気分が悪くなる。それほど進まなかったのだ。

 僕は高畑さんをご自宅へ送る車中で、毎日、高畑さんの愚痴を聞き続けた。一方で、スタジオに戻ると、怒られた田辺さんを慰めるため、終電までの30分間だけ、近くにある安居酒屋でお酒を飲み交わす。ストレスを吐き出させ、こちらが思っていることも伝える。これを毎日だ。平社員なりに少しはあった貯金が、底をついた。

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