映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明」(2013年4月15日~9月1日)を再録


 こうして「かぐや姫スタジオ」(通称:かぐスタ)が稼動した。さぁ、ここから気持ち新たに、という時なのに、田辺さんが一週間の休暇を申し出た。毎年、この時期に実家の田植えを手伝いに帰っていて、来年は行けないだろうから是非、最後に行かせて欲しいというのだ。農繁休暇である。今は米を作っている場合じゃない。映画を作っておくれよ……。「お盆休みは出社しますから」と言うので、しぶしぶ了承した。

 とにかく絵コンテが進まない。まだジブリに準備室があるときに、コンテが進まなかったのには理由があった。あるワンシーンで止まってしまったからだ。かぐや姫の誕生シーンである。30秒のシーンを描くのに、まる2ヶ月くらいかかったと思う。大事なシーンだから仕方が無いとはいえ、2ヶ月で出来たコンテが数十秒となると、絶望しかない。ただ、一方でこのコンテ作業開始当初の数ヶ月こそ、僕にとって「高畑演出、ここにあり」と思わせる貴重な体験だった。書きたいのだが内容に触れてしまうので、いずれ書くタイミングがあれば書こうと思う。

 その誕生シーンを切り抜けたと思ったら、また、あるシーンで立ち止まった。今度は、イメージボードを描かなかった弊害だ。人物たちが生活し、行動する空間を田辺さんが描ききれないのだ。僕は資料を集めるし、もちろん高畑さんも説明を尽くして、こういう情景を、ああいう場所で、と提案するが、田辺さんは「実感がわかない」ものは描けないという。もう、こんなのばっかり。

 運が良いことに、男鹿さんの美術監督就任が決まったので、田辺さんの手が完全に止まってしまった冒頭10分以降から30分までは全て後回しにして、8月以降に参加する男鹿さんの美術設定、美術ボードを待って作業を進めることになった。とはいえ、美術ボードは、やはり美術ボード。場面の印象を決定付けるイメージボードとは異なる。今回の選択が効を奏するかどうかは分からなかったが、1コマでも前進させなければ。

 冒頭10分描いて、20分飛ばして、その後から進める。歯抜け状態で絵コンテを進めることになった。テレビで言うなら、1話と2話を描いて、3と4を飛ばして、5話、6話と進めて行って12話を飛ばして、13話、さらに戻って3話目と4話目を、と描いていくようなものだ。そんなことを劇映画でやってしまって大丈夫なのか。人物の感情やキャラクターなんかがバラバラになってしまうんじゃないか。けれど、脚本は出来ている。高畑さんの映画の作り方は"エピソード主義"だ。それに、この映画の冒頭は特殊である。あとは高畑さんの構成力。それらを考えれば大丈夫かな。ま、高畑さんが大丈夫と言うから、大丈夫なんだろう、なんて考えていた。とにかく、立ち止まっては居られない。

 田辺さんの絵コンテが止まるたびに、もう、何でもいいから描いてよ!という言葉が、喉元まで来るほど、絵コンテが進まない。とはいえ、やきもきしているだけでは絵コンテは出来ないので、高畑さんを自宅に送り届けた後、こうしたらどうか、ああしたらどうか、と僕も田辺さんに提案するようになる。高畑さんが求めているのは、こういう絵じゃないかと話をする。時には、高畑さんはああ言っているけど、このカットは良く出来てる、と田辺さんを擁護する。毎日毎日、一日の終わりに田辺さんが描いたコンテを見て、意見する日々が続く。終電の10分前まで意見を交わし、最後にふたりで缶ビール一缶を分け合って乾杯し、終電車に乗るために早足で駅へ向かう日々。掃除も資料集めも、絵コンテに意見することも何もかも、出来ることは何でもする。

 しかし、また止まった。今度は、平安の時代の乗り物である牛車の乗り降りが問題となった。絵巻や文献などを当たり、こうして乗り降りしていたろうという段取りは分かった。しかし、具体的に、この時、この部分はどこに置かれているのか、何人がかりなのか。誰が御簾を掛けるのか、どうやって?というのが、調べても全くわからない。牛車の御簾を引き上げる動作などは、全くイメージができずに、高畑さんと田辺さんは何週間も、かぐスタの窓に掛けてあるブラインドを使って、こうやって引き上げたのか、ああやったのか、とやっている。2カット計24秒に、何週間も掛けている。もう、何でもいいから描いてよ!という言葉が舌先まで出てきそうになる。牛車の乗り降りをシミュレーションしすぎて、リフォームで新しく設置したブラインドは、もはやフニャフニャに曲がったりしている。

 そして2010年7月2日、高畑さんは、スペイン旅行に出かけた。


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