映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明」(2013年4月15日~9月1日)を再録


 鈴木さんから「出てって」と言われた時、ぼくは高畑作品の現場のイメージを具体的に持っていたわけではない。今振り返って考えると「かぐや姫の物語」は、ジブリから出ていくことでしか作れないジブリ作品だったのだ。それを鈴木さんは分かっていた。しかし、あの時の僕は、そんなことを考えるだけの経験も能力も余裕も無かった。それは今度、機会があるときに書こうと思う。

 あの日、ぼくは、ジブリの玄関を出て、駅へ向かう一本道をゆっくりと歩いた。一か月後には出ていかないといけない。ポツポツと雨が降ってきた。いったい高畑さんになんて説明したらよいのだ。西ジブリからアニメーターが戻って来るので僕らは追い出されました、あのマンションは無くなりました、5スタは僕らのためではありません、と高畑さんに伝えるのか。高畑さんに申し訳ない。脚本が出来て、絵コンテ作業が始まり、さぁ、これからという時に、この力不足の若造は、高畑作品のための環境すら満足に確保することができないのか。

 そんなことを考えながら、トボトボと東小金井駅の改札口まで来た。「どこでもいいから、出てって」と言われたからには、どこでも良いのだろう。遠くに行ってしまうか。でも、どうしよう。高畑さん、田辺さん、小西さん、僕の四人で、遠く離れたところに隔離されたら、皆、狂ってしまうんじゃないか。一日中、怒り続けている高畑さんの現状を考えると、現場がぶっ壊れてしまうかもしれない。本気でそう考えた。

 そうだ、やっぱり東小金井駅がいい。東小金井駅の近くなら、ジブリの近くなら、ジブリのスタッフも様子を伺いに高畑さんに会いに来るかもしれない。遠く離れてしまえば、心理的にも離れていく。ジブリの映画を作っているなんて、ジブリスタッフの誰も思わなくなる。そして忘れていく。そうなったとき、高畑さん、田辺さんのモチベーションがどう変化していくのか。離れてしまえば、ジブリからの援護射撃も現場に届かないまま、企画は消滅していくのではないか。そのぐらい、「かぐや姫の物語」の状況と、高畑さん、田辺さんの関係は、不安定そのものだったのだ。

 ぼくは改札を通り過ぎた。雨が本降りになってきたのでキオスクでビニール傘を買い、さらにトボトボと南口に向かった。東小金井駅南口に広がる商店街。小さな商店街だが、飲食店もあり、昼間はジブリのスタッフが昼食を食べにやってくる。ぼくは、商店街をさらに進んで行った。すると、飲食店の並びが途絶えたところ、比較的新しい一軒のビルが目に入った。ビニール傘越しに、そのビルを見る。ビルの中二階に、正面がガラス張りになったテナントスペースがある。こんなところ、空いていたっけ?玄関には「テナント募集」の張り紙。ぼくは吸い寄せられるように、階段を上って行った。

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