4月に入った頃、脚本家の坂口さんに再びご登場願って、脚本の手直しをした。そして、それをもって「準備稿」と称した脚本を脱稿とし、製本した。2010年4月16日のことだ。表紙の色はオレンジ。なぜその色を選んだかと言うと、単に僕が好きな色がオレンジだったからだ。
昨年10月に脚本作業を終えてから、高畑さんと僕で少しずつ削って2時間15分に近づいたはずだった脚本は、その後、少しずつ高畑さんが手直しした結果、気付くとエンディングを含めて2時間半に延びていた。考えに考えて縮めたのに……。またどこかで、脚本短縮を試みないといけない。そのときはまた、高畑さんとの対立は免れないだろう。前途多難である。
出来上がった準備稿は、社内の主要な人と、ジブリ作品の出資会社(製作委員会)の数人にも読んでもらった。脚本の評判はすこぶる良く、みなが口を揃えて「脚本がすばらしい」と評価してくれた。企画のところから、かなり入り込んで高畑さんと脚本をやってきた身としては、客観的な立場の方々の好意的な評価を聞くと、素直に嬉しいもんだ。
この脚本完成を受けて、ジブリの定例会議で鈴木さんは社内スタッフに向けて、こう発表した。
「先般、高畑さんの脚本が完成し、ぼくも読んだが、さすが高畑勲、顕在だと思った。力作だった。この映画を、正式にスタジオジブリ作品として作ろうと思います。」
え?
この企画はジブリ作品にならない可能性があったの?
ということで、脚本はジブリ作品として正式に!完成した。絵コンテは遅々として進まないが作業が続けられている。僕は、そろそろ次の段階への仕込みを始めなければいけない。ひとつはスタッフの確保。主にアニメーターの確保だ。そして、そのスタッフが働く場所の確保である。
でも、ぼくは場所に関しては心配していなかった。なぜなら、スタジオジブリは当時、新しく3F建てのスタジオを建設中だったからだ。