男鹿さんについて聞き込むと、「いやぁ、美監(美術監督)は引き受けないと思うよ」と皆が口を揃える。でも、こちらは男鹿さんしかいない。高畑さんがそう望んでいるという以前に、「かぐや姫の物語」をより良い映画にするために、日本一の美術監督の力が是非とも欲しい。
直球勝負だ。高畑さんに直接会ってもらおう。高畑さんが十数年ぶりに手がける新作だ。男鹿さんは高畑さんの「おもひでぽろぽろ」と「平成狸合戦ぽんぽこ」で美術監督を務めているわけだし、高畑さんが自らお願いすれば、男鹿さんだって引き受けてくれるはずだ。ぼくは男鹿さんに電話をかけた。
数日後、「アリエッティ」の背景を100カット以上任されて多忙を極める男鹿さんが、時間を作って「かぐや姫の物語」準備室に顔を出してくれた。男鹿さんと、高畑さん、田辺さん、そして僕の4人は、珈琲館「くすの樹」で話をすることになった。夕方の16時をまわった頃だ。
店に入り、4人が座った。男鹿さんの前に僕が座り、その左に高畑さんが座った。高畑さんの目の前、つまり男鹿さんの右隣に田辺さんが座る。高畑さんと男鹿さんは、正対せず斜めに座った。適当に珈琲などを注文し、高畑さんが話し始めた。
高畑さん「進みが遅くてアレなんですけど、どういうふうな美術がありえるのかって。そいうのを考えていくと、もう、難しくてね。男鹿さんに相談してみようと。寝殿造りとかも、これまでジブリがやってきたようなポスターカラーで写実的に描いたって何も面白くないんですよ。どうしようかって。あははは。」
男鹿さんは、じっと聞いていた。このまま続けて企画の話をし、男鹿さんに何を求めているかを伝え、高畑さんが最後に男鹿さんに“プロポーズ”する、ことを期待した。しかし、会話の流れは全く違うほうに向かう。
高畑さんは男鹿さんに雑談を持ちかけ、旅行の話が始まった。こういうところに行った、ああいう所に行った、男鹿さんもどこかへ行かれたか、等々。終いには「もう仕事なんてしてる場合じゃないんですよ。アニメーション映画なんてね、車椅子になってからでも出来るんで、足腰が丈夫なうちに色んな所に行きたいんですよ、ほんと!」と憤っている。
その後、2時間ほど高畑さんは旅の話を続けた。高畑さんが「かぐや姫の物語」の話をしたのは、今のところ最初の5分だけだ。そしてメニューを手に取り、
高畑さん「すみませーん、このサンドウィッチひとつ!」
数分後に来たサンドウィッチ、一人前。「みなさんも、どうぞ」と言いつつ、高畑さんはまだ旅の話を続ける。そのころになると、男鹿さんの顔も最初とは変わっていた。「何のためにココに呼ばれたんだろう」そんな顔をしていた。気付くと高畑さんはサンドウィッチをひとりで全て平らげている。
まだまだ旅の話は続く。店に入ってから3時間が過ぎ、19時半を回ろうとする頃、ようやく旅の話がひと段落した。十数秒ほど無言の時間が流れる。その無言の時間の最後、高畑さんは右にいた僕のほうに顔を向けた。ぼくも高畑さんのほうを向く。高畑さんは僕の目を見ている。じっと。3秒間。そして、高畑さんは男鹿さんのほうにパッと向き直り、こう言った。
高畑さん「じゃ、まぁ、今日はこのへんで(笑)。」
ええっ!!頼まないのかいっ!!それになんださっきの目配せは。何を意味しているんだ?えっと、あ、こういうことか!「わたしの役割はここまでです。あとの説得は、あなたの仕事でしょう」 あの目は、そういうことを言っていたのか!?