映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明」(2013年4月15日~9月1日)を再録


 高畑さんには見せず、田辺さんだけで絵コンテを進める。この選択は理屈で考えれば無謀なものだった。正直に言うと、まったく勝算など無かった。なにせ何も決まっていないのだ。ただ、これしかない。モノを作ってしまう。具体的にする。モノが良ければ前に進める。悪ければ何が悪いかがはっきりする。なにより、高畑さんと田辺さんを一旦切り離さないと、関係が壊れてしまう。

 その間、高畑さんは何をしていたかというと、ひとつは禁煙をした。(詳細はジブリの小冊子「熱風」2010年1月号掲載の「禁煙レポートby高畑勲」を参照)そして、もうひとつは画面スタイルの方向性について、頻繁に話すようになっていた。傍らではマロさんが「借りぐらしのアリエッティ」を、宮崎さんが「パン種とタマゴ姫」を作っていたが、高畑さんが作りたい画面というのは、それらとは全く異なる画面だという。


高畑さん「キャラクターについては、鉛筆の線を活かすという『山田くん』でやったことを、もう少し進ませることができないかと思っているんです。動画で均一に引かれた線ではなくて、原画のザザッとした線を活かす。デッサンのようなね。ある時期の西洋絵画なんて本物の絵よりデッサン画のほうが面白いと思うことがあるんですよ。その線の向こうに「本物」を感じることができて。絵そのものが本物なんじゃなくて、線の向こうに本物がある、それを写し取ったんだって。」


高畑さん「そういう線で描く場合、映画は絶えずお客さんに『線』を意識させてしまう。つまり映画は『絵』であることを常に主張してしまうんで、そうすると、その世界に没入することは難しくなりますね。本物らしい世界を提示して、見る人を映画の中に巻き込んでいくタイプの映画ではないんで、見る人と映画との間に一定の距離ができてしまう。客観的になりすぎる心配があるでしょうが、そこは何とかなると思うんです。感情に寄り添える映画にはなると思います。」


高畑さん「美術はね、やはり淡彩でやっていくんでしょうね。寝殿造りを描くときにも、ポスターカラーで写実的に緻密に描いていったところで、まったく面白みのないものにしかならないでしょ。余白があって、抜けるような画面はどうかと思ってるんです。川合玉堂なんかは参考になるでしょうね。」


高畑さん「でも、寝殿造りなんかは、落ち着くところに落ち着くだろうから心配はしていないんですよ。問題は前半の山編です。山の生活を活き活きと描くためには、それそのものが魅力に感じられないといけない。でも、それを緻密に描いていくんじゃない方法があるんじゃないか、淡彩でやれるんじゃないかって。でも、水彩画なんか見ても、夏の暑さとか水の冷たさとかね、そういうものを上手く表現しているのって、あるんでしょうか。無いんですよね。やっぱり、こういうのを相談しながらやっていける美術監督が必要なんですよ。でも、できるのは、ひとりしかいないんですよね。男鹿さんです。」


 画面スタイルについて考えを巡らせる高畑さんが、ここに来て美術監督を指名した。日本一の美術監督・男鹿和雄さんだ。


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