映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明」(2013年4月15日~9月1日)を再録


 絵があがらず、田辺さんは追い詰められていく。1スタ2Fでは「借りぐらしのアリエッティ」を制作中で、大声を出すこともできないので、高畑さんが田辺さんに対して物申したいとき或いは、何かを決める必要があるときは、いつも場所を変えて話すようになった。その場所とは決まって珈琲館「くすの樹」だった。

 田辺さんと僕にとって、珈琲館「くすの樹」には良い思い出がない。何かを考えたり決めたりするために「くすの樹」に行くのだが、必ずと言っていいほど何も決まらず、高畑さんは何時間でも話し続ける。そして大抵の場合、田辺さんが怒られる。一通り怒られて、お腹が空くと場所を移して夕飯を食べ、そして準備室へ戻ると、高畑さんは帰宅する時間になっている。こうして一日が終わり、何も進まずに日々が過ぎる。

 この状況に対して、ぼくは情けないことに打開策を見つけることができず、鈴木さんに相談した。鈴木さんは、「わかった、高畑さんと話してみるよ」と応えてくれた。数日後、鈴木さんは高畑さんと話す場を持ち、鈴木流の誇張も交えて、こう伝えたそうだ。


鈴木さん「田辺くん、このままだと人間が壊れちゃいますよ。もう、そこまで来てます。」


 その日から、高畑さんは田辺さんに対して「怒る」のではなく、「諭す」ような姿勢に変わった。

 しかし、それだけで絵の状況が改善されるわけではない。翁の家はほぼ決まり、翁と媼のキャラクターも定まったが、肝心のかぐや姫がなかなか固まらない。イメージボードは、やはり1枚も描かれない。田辺さんと相談しつつ場面を選び、キャラクタースケッチを描き続けてもらってはいた。ただ、映画全体をどういう様式で、高畑さんが好きではない言葉だが、どういう「世界観」で見せるのか。それを検討するにはイメージボードが不可欠だ。

 別の人物を立てて、その人に頼んだらどうかと提案したり(試しに描いてもらったりもした)、小西さんにも描いてもらったが、高畑さんは田辺さんに拘わった。そうこうするうちに、脚本完成から2ヶ月が過ぎ、12月に入った。また、映画が動かぬまま1年が終わってしまう。

 これでは何も進まない。ぼくは一つの実験をしてみることにした。もう何もかもが決まっていない中で、絵コンテに入ってしまえ。田辺さんが「具体」の人であれば、コンテで具体的に考えていったほうが物事が決まるのではないか。それを、まずは高畑さん抜きでやる。高畑さんが関わると、田辺さんが萎縮して進まない。12月末から来年の1月まで、脚本のシークエンス1を、田辺さん一人で自由に描いてもらう。高畑さんに一切見せずに。

 高畑さんには、「田辺さんの自主性を尊重したい」と伝え、承諾をもらった。田辺さんも、そのほうが進むかもしれないと賛同してくれた。キャラクターも美術設定も何も無い中で、映画の設計図である絵コンテを描くなどと言う無謀なことに、田辺さんと僕は突き進んだのだ。

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