映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明」(2013年4月15日~9月1日)を再録


 脚本は完成したが、絵の問題は依然として解決できなかった。翁と媼のキャラクターがだいぶ固まってはいたが、肝心のかぐや姫が描かれない。「お爺さんを主人公にした映画にできませんか?」この発言を、田辺さんは冗談で言っていたのではない。

 準備室を開設して、脚本の準備稿が完成しても、高畑さんと田辺さん、ふたりの関係には変化がなかった。田辺さんが描いた絵に高畑さんが納得できず、強く言う日々が続いた。毎日、田辺さんはキャラクターのスケッチなどを描き続けるが、毎日、高畑さんに怒られる。10分、20分ではない、1時間、ときに2、3時間だ。

 ある日のこと、準備室に田辺さんの姿がない。ぼくは、1スタ1階のバーに降りた。すると、あれほどジブリのスタッフと顔を合わせるのを嫌がっていた田辺さんが、1階バーの丸テーブルにぽつんとひとり座っていた。両手で珈琲カップを持ち、ボーっと一点を見つめながら。もちろん、他のスタッフがそこで休憩していたり、通りがかったりしている。そんなことはお構いなしに、田辺さんは一点を見つめていた。

 その姿を見てドキッとした。このままでは、田辺さんが壊れてしまうんじゃないか。


西村「田辺さん、大丈夫ですか。」

田辺さん「きついですよね。何を描いても怒られますから。(絵を)見せても、褒めるとか、認めるとかありませんから。信頼されてないんですよね。」


 田辺さんは真顔だった。

 しかし、高畑さんにも言い分があった。


高畑さん「脚本を読んで、描けそうなところを描いて欲しいとか、そのときの姫の表情を描いて欲しいとか言っても、描かないんですよ。描かないとこちらは分からないわけでしょ。もともと劇的なものが好きじゃないのは知っていますけど。そういうことをやってこなかったんですよ、彼は。とにかく経験が少ない。普通であれば、手癖だったりで、あるパターンで描いてしまうところを、出来ないんです。だから、一回一回止まってしまう。」


高畑さん「でも、それが彼の魅力でもあるから困るんですよね。パターンのストックが少ないから、何とか捻り出そうとしたものが面白かったりするんですよ、やっぱり。それに、彼は色々なことを抽象的に捉えない人ですよね。全部が具体的。脚本なんかでも、ハッと気付かされるときがある。こちらが曖昧にしていたところがあったりしてね。そこが出来ていなかったかって。独特のああいう感じのいい絵が描けるのは、おそらく、それも一つの理由だと思うんです。あらゆることを具体的に捉えているんですよ、彼は。」


 とにかく、絵が必要だが、その絵が出てこない。どうしよう。何か打つ手はあるのか。

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