映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 "悲惨な日々" 西村義明」(2013年4月15日~9月1日)を再録


 2009年12月5日午前、いつも通りの道でジブリに出社する途中、携帯に着信があった。高畑さんからだ。


高畑さん「あぁ、高畑です!」


 声が鬼気迫っていた。何かあったのだ。


高畑さん「あの、奥さんが交通事故にあって、自転車に乗ってたら、あの、例の坂道の、自転車とバイクで、あの、頭から大量に出血しているらしくて、それで、今から病院行かなくちゃならないんで、あの、今日は休みます!(ガチャッ)」


 頭の中を嫌なイメージばかりが駆け巡る。急ぎ出社し、主要な部署に状況を伝え、ぼくは高畑さんの奥さんが運ばれた病院へ……行けない。病院名を聞き忘れてしまった。高畑さんに聞こうにも、高畑さん、携帯を持っていないのだ。

 僕はひとまず社用車を走らせて、高畑家の近くへと向かった。「例の坂」とは、家の近くのあの坂だろうから。途中、車を止めて警察に電話する。


西村「高畑という女性が交通事故にあって、救急車で運ばれたと思うんですけど、病院を教えてもらえますか。」


 しかし、個人情報なので教えられないという。消防署ならば、と電話をかけるが、こちらも個人情報だの条例だので、病院名を教えてくれない。

 僕はケータイを開き、救急受け入れをしている病院をネットで調べる。8つくらいに候補が絞られた。電話する。しかし、こちらも個人情報を理由に教えてはくれない。しょうがない。もう、片っ端から車で行くしかない。

 ところが運よく、一発目で大当たりだった。受付で、「高畑という女性が運ばれたと思うんですが」と聞いてみると、「確かにこちらの病院です」と。病室を教えてくださいと言うと、受付の女性から「失礼ですが、ご関係は?」と聞かれた。

 ご関係?高畑さんと僕は、どういう関係だろう?親族ではない。息子です、と言ったらオレオレ詐欺みたいだし、同じ会社の者でもない。なんて答えるべきなのか。変な回答をして怪しまれると、警備員に連れ出されかねないご時勢だ。ぼくは咄嗟に「友人です」と答えた。40数才離れた友人。まぁ、嘘じゃない。受付の女性は「少々お待ちください」と奥に引っ込んだ。怪しまれたかのか?しかし1分後、「○○○号室です。エレベーターでどうぞ」と案内された。

 エレベーターを使って指定の階に行き、ぼくは、病室へ歩いた。ひとまず気持ちを落ち着けて(僕は最悪を想定していた)、ゆっくりと近づいていく。すると、開け放した病室から、いつもの奥さんの笑い声と、いつもの高畑さんの話す声が聞こえてくる。無事だ。よかったぁ、と安堵しつつ、そうっと病室を覗くと、


高畑さん「あ、やっぱり!」

西村「はい?」

奥さん「ご友人がお見えですっていうから、誰かしらって。」

高畑さん「西村くんじゃない?なんて話していたんです。いやぁ、安心しました。よかった!本当にありがとうございます。」


 奥さんは数針縫うことになったそうで、痛々しかったけれど、脳に異常もなく、大丈夫だった。あのとき僕を見て安堵した高畑さんの顔を、なぜか僕は忘れられない。

 

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