映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明」(2013年4月15日~9月1日)を再録


 映画「かぐや姫の物語」の脚本は、こうして完成した。いや、厳密に言うと、「準備稿」が完成した。2時間半でも長いので、まだまだ削る必要があったのだ。

 その頃、高畑さんと田辺さんは、かぐや姫の爺さん、婆さんである、「翁(おきな)」と「媼(おうな)」の家をどのように描くか考えていた。平安時代の町屋は「伴大納言絵巻」や、少し時代が下るが鎌倉時代の「一遍上人絵伝」などに描かれてはいる。しかし、平安の山里に暮らす庶民の暮らしが描かれた絵画資料はない。縄文、弥生から続く竪穴式住居に住んでいたという説もあるが、絵として映えない。都から離れて山に暮らす翁の家を、どう説得的に描けるか。

 高畑さん、田辺さんは、それぞれが所有していた古民家の写真資料をあさった。こんな家屋は平安時代でもありえたかもしれない、こちらは室町以降しかあり得ない等々の話し合いが続く。その間、ぼくは、高畑さんから日本と西洋の建築の違いを教えてもらい、木と石の文化の違いに気付かされ、屋根や天井の構造に詳しくなり、ヨーロッパと違って景観が保たれない京都の街並みを、高畑さんと一緒に憂いたりしていた。こうして、翁の家が一向に決まらないまま時間が過ぎる。

 そんなある日、「かぐや姫」準備室に、宮崎さんが顔を出した。


宮崎さん「パクさん、爺さんの家、こんなのどうかな?」


 そう言って宮崎さんは、1枚の絵を高畑さんに提出した。それは、ザザっとした線で描かれた翁の家のイメージスケッチだった。中国の山水画のように屹立する崖の上に、ポツンと小さな家がある。ちなみに、宮崎さんは企画内容を知らないし、脚本も読んでいない。ただ、「かぐや姫」を作ることだけを知っていた。


宮崎さん「爺さんは、こういう所に住んでいるんですよ。崖の中腹に猫の額ほどの畑があって、毎日、毎日、この崖を降りたり、上ったりしてるんです。」

高畑さん「あはは、まぁ、面白いけど、違いますね、こういうんじゃない。」


 その翌日、また宮崎さんが絵を描いてやってきた。


宮崎さん「パクさん、爺さんの家は、こうやって都を一望できる山の中腹くらいにあると思うんです。そこから、いつも都を眺めてるんですよ。いつか京の都に上ってやるとか、そういう野心もある人物なんです。」

高畑さん「はぁ……。まぁ、こういうんじゃないですよ。」


 宮崎さんは、その後も数回に亘って、高畑さんや、隠れて田辺さんにも、「こういう絵でどうだろう?」と提案を続けた。絵を提出するときの宮崎さんは嬉しそうで、けれど高畑さんを前にして、緊張している様子だった。むかし、ふたりが一緒にアニメーションを作っていたときは、こうしてやり取りしていたのだろう。しかし、高畑さんは実に素っ気無いかった。


高畑さん「どういうつもりでしょうね、宮さんは。いや、上手いし流石だけど、こういう広角(レンズ)で捉えたようなのは違うんですよ。それに今回、ジブリが、まぁ、宮さんがやってきたようなポスターカラーで緻密にやってく美術とは違うのを目指しているじゃないですか、こちらは。」


 この頃、高畑さんは、「かぐや姫の物語」の美術背景についても、ある方向性を打ち出そうとしていた。しかし、これもまた難題であった。なぜなら、高畑さんが目指す美術背景の実現には、この十数年の間、美術監督業から離れ、二度と美術監督を引き受けないと明言する、ある人物の参加が不可欠だったからだ。

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