映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明」(2013年4月15日~9月1日)を再録


 前回、何だか仕事以外のことばかりを書いてしまったような気がするので、後編では少し仕事のことを書こうと思う。

 高畑さん宅で皆で話したことを家に持ち帰り、それを反映して「かぐや姫」のプロットを書いていくのが私の最初の仕事だった。今までの企画の中で練り上げられたものや、今回新しく発見したことなどを、ひとつの物語に紡ぎあげていく、そんな作業だ。高畑さんの語りたいものは何なのか、そしてそこから私が書きたいと思うものは同じ方向に向かっているのか、それとも違うのか。ぶつかったり、方向転換したり、折れ曲がったり……最初は様々な方向を向いていたベクトルだが、話し合いを重ねるうちに次第にひとつの大きな流れに向かい始めた。やがてそれが太い軸となってくっきりと見えるようになった時、物語の大枠となるプロットが完成した。

 そしてその頃、私たちの作業の舞台も新たな場所へと移った。スタジオジブリの社内に「かぐや姫準備室」なるものができたのだ。おそらく9月に入った頃だったと思う。ただ、準備室、とはいっても完全な部屋ではなく、制作フロアの一角をパーテーションで区切った四畳半ほどの小さなスペースだった。当時、フロアは「借り暮らしのアリエッティ」の制作が佳境を迎えていて、話が盛り上がって思わず大声で笑ってしまった時など、まずい、と冷や汗をかいた。それでもそこに制作机が持ち込まれ、いくつかの資料も並ぶようになり、田辺さん、小西さんが加わってだんだんと準備室らしくなっていく。部分的に出来上がってきた脚本を前に本格的な打ち合わせが始まったが、しかし、その一方で、あいかわらず、高畑さんの知識の洪水に溺れたり、ボーッとした頭を冷やしに散歩に出かけたり、腹が減っては戦ができんと美味しいものを食べに行ったりしていた。

 ちなみに、この時期に辛かった思い出と言えば、美味しいお好み焼きをビールなしで食べたことだが、脚本化の作業に関しては、つらかった記憶がほとんどない。だが、今にして思えば、それも当然だと思う。高畑さんがこれまで積み上げてきた大きな物語の幹を見上げながら、自分なりに物語をつづることができたのは、本当に幸せな時間だったのだ。


 かくして初稿があがったのが9月の終わり頃。そして、読み合わせ……と、ここにきて、大きな壁にぶち当たった。最初から最後まで音読したところ、何と3時間半もかかってしまったのだ。みんな絶句した。とりあえず、各自でカットできるところを考えて来ようということで、その日は解散した。

 それからが本当に辛かった。切らなくては、とは思うのだが、切れないのだ。だいたい必要だと思ってるから書いてるんだ、切れるわけないじゃないか!と、切れないくせにキレてしまうこともしばしば。そうこうするうちに、再び打ち合わせの日がやってきた。私はドキドキしながら打ち合わせの席についた。みんなどれくらい切ってきたのだろう? すると高畑さんが言った。

「半ページです」

 勝った!と思った。

「坂口さんは?」

「1.5ページです」

 この時、おそらく西村さんは、目の前が真っ暗になったことだろう。それはそうだ。3時間半を何とかしなければならないのに、結果2ページしか切れなかったのだから。しかし、彼は絶望にめげずにこう言った。

「僕は40ページ切ってきました」

 そして、彼がカット候補として上げるところをきいていくうちに、なるほど、ここも切れる、あそこも切れる、と、淀んでいた水が再び流れ出したように打ち合わせが進んでいったのだ。常に絶望しています、と、西村さんはよく言うが、この時の彼は絶望を軽々と飛び越えていた。

 そして悩みながらも、シーンやセリフの取捨選択を続けて、ようやく脚本は2時間半の長さになった。そこで、今回の前篇の冒頭に戻る。じゃあ、脚本はこれで……。


 10月の終わり頃だったと記憶している。脚本は一応の完成をみた。本来ならば、それはとても嬉しい出来事に違いないのだが、明日からもう来なくてよいのだと知った私の胸に咄嗟に浮かんだ言葉は、「寂しい」だった。

今さらながらに思うことだが、あの時、寂しい、別れがたいと感じたということは、私が「かぐや姫の物語」にかかわった日々はやはり間違いなく、「楽しかった日々」なのだと思う。長々と書きつづったあげく、残念ながら、この日誌のタイトルとは間逆の内容になってしまったけれど……それはそれで、いいですよね、西村さん?

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