映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明」(2013年4月15日~9月1日)を再録


 ヘルニアの痛みは治まらず、高畑家へは、田辺さんの運転で通った。ぼくは助手席を倒して寝転がり、田辺さんに高畑家まで運んでもらう。高畑家での脚本会議中も、皆は応接テーブルに座るのだが、ぼくは1日中、床に仰向けで寝転がり、ああでもないこうでもないと会話に加わる。起き上がるのは、トイレと、帰るときと、おやつタイムだけだ。まぁ、そんな話は良いとして、脚本作業は順調に進んだ。

 ヘルニアも落ち着いた頃、鈴木さんは「かぐや姫」準備室の開設を許可してくれた。とはいっても、スタジオでは目下、マロさん(米林宏昌監督)の映画「借りぐらしのアリエッティ」と宮崎さんのジブリ美術館用短編「パン種とタマゴ姫」を制作中で、すでに手狭だった。

 鈴木さんは僕に、スタジオ内のふたつの区画を提案した。第一スタジオ3Fの6畳ほどの会議室。ここを宮崎吾朗作品準備班と半分ずつ使う。ふたつ目は第一スタジオ1Fの仕上げ部の横。4畳ほどのスペース。鈴木さんは、「よし、このふたつの案で宮さんに相談しに行こう」と言い、鈴木さんと僕は、宮崎さんの昼寝後の時間を狙って、宮崎さんのアトリエ「二馬力」に向かった。

 宮崎さんは、鈴木さんの案を聞くなり、こう言った。


「鈴木さん、それじゃ、パクさん(高畑さん)来ないよ。ただでさえスタジオに来たがらないんだから、ちゃんとしたところを用意しないと(笑)。あそこはどう?」


 宮崎さんは嬉しそうに、色々と提案してくれた。結果的に、高畑さんの「かぐや姫」班は、第一スタジオ2Fにパーティションで4畳半ほどの区画を作って、そこに入ることになった。作画机4台が入るスペースだ。

 そのフロアでは、マロさんが「アリエッティ」を作り、宮崎さんが「パン種」を作り、高畑さんが「かぐや姫」を準備する。「宮さんは高畑さんがスタジオに来るのが嬉しくてたまらないんだよ。高畑さんの近くにいたいんだろうな」と、鈴木さんは少し感慨深げに微笑んでいた。

 2009年9月29日、こうして、簡易の準備室が出来上がった。田辺さんも毎日スタジオに入るようになり、高畑さんの机の横で、キャラクタースケッチ的なものを描きはじめた。脚本家の坂口さんも週に3日くらい入る。高畑さんは、自分では来ないので、ぼくが毎日、車で送迎する。

 準備室が出来上がると、宮崎さんは、本当に嬉しそうだった。ほぼ毎日、準備室へ顔を出しては、高畑さんと雑談を交わしていった。同じフロアに高畑、宮崎両監督が揃うことなど、一体いつぶりなんだろうか、と、感激している暇はない。早く脚本を作り上げねば。

20130611_1.jpg