ともかく脚本を完成させないと、後がない。脚本が出来上がれば、この映画は次に進むことができる。そうでなければ、終わる。たぶん、そういうことだった。坂口さんという新メンバーが加入し、気持ち新たに脚本会議が始まった。
脚本会議に加わった新メンバーは坂口さんだけではない。嫌がる田辺さんを説得し、脚本会議に参加してもらうことになった。4スタにいても作業がはかどらないのなら、脚本会議に参加して高畑さんの考えを直に聞いて欲しい、イメージを作り上げて欲しい、という願いを込めて。
肝心の脚本会議の中身は、ここでは語れないが、高畑さんと坂口さんは相性が良く、なにより、坂口さんは勘が良かった。高畑さんの意図していることを先回りするような発言が相次いだ。数回の脚本会議で、坂口さんは企画のかなり具体的なところまで理解してくれたように思う。
最初の打合せから約1週間の後、2009年8月9日には、坂口さんから計19ページのプロット案が送られてきた。プロットと言っても、長文のあらすじの様な体裁になっており、映画の流れが分かるように工夫されていた。そのプロットを読んだ後の高畑さんの発言を、僕はよく覚えている。
「こういう映画だったんですね。」
これがプロットを読んだ高畑さんの第一声だ。
産みの親である高畑さんがこれまで若干の過保護の中で育ててきた映画企画を、他所の家へ、つまり坂口家へ1週間だけ奉公に出してみると、ビシバシと鍛えなおされて、戻ってきたときには一人前の映画になって帰ってきた、そういう感じだろうか。読み終えたプロットは、昔からよく知っていたようで、初めて出会ったようなものでもあった。
プロットには、高畑さんと坂口さんの顔合わせの際に、坂口さんから提案された着想が大事な要素として活かされていた。その着想を織り込みつつ、映画の骨格が固まり、縦軸が貫かれた。ともかく、まずは映画の骨格、プロットが出来あがった。そのプロットは面白く、なにより「映画」だった。
脚本作業は、次のステップへと進んでいく。