映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明」(2013年4月15日~9月1日)を再録


 脚本が完成する、と、思っていた。櫻井氏が3/5を書き上げて、それぞれのパートに関しての高畑さんの反応も上々のはずだった。考えが甘かった。

 あれは2009年2月21日。起床すると携帯電話に留守電が入っていた。着信の時間は午前3時ぐらい。高畑さんの自宅からだった。ぼくは留守番電話を聞いた。


「明日、加藤周一さんのお別れの会があるんですが、その後、時間をください。荻窪の新しいほうの喫茶店で待ってます。」


 声が苛立っていた。ぼくは、あわててPCを開き、メールをチェックした。すると、櫻井氏から脚本の初稿が送られてきている。ダメだったか……。

 その日の午後、ぼくは荻窪の“新しいほうの喫茶店”である宵待屋珈琲店で高畑さんを待った。「子守唄の誕生(仮)」のとき、荻窪の西郊ロッヂングという民宿で4泊5日の企画合宿をしたのだが、その際に色々な喫茶店へ行った。どの喫茶店も、良い思い出がない。最悪な思い出は、蕎麦喫茶「グロッケンシュピール」での高畑さんのK氏への激怒。ぼくは「喫茶“魔笛”事件」と呼んでいる。今日また、この荻窪の地で、新たな事件が生まれるのか。

 高畑さんは店に入ってくるなりブレンドコーヒーを注文した。そして、眉間に皺を寄せ、煙草を燻らせながら切り出した。


「一緒にどうあるべきかを考えながら進む予定だったはずですが、 やはり、結果としては私が考えているのとは違いすぎて、 フォローしてもらった、という感じがしません。このまま一緒にやるのは難しい。」


 沈黙。ぼくも煙草に火をつけた。脚本は、高畑さんの考えを全て詰め込んだもののはずだった。高畑さんも納得しながら進んでいたはずだ。何がいけなかったのか。ニュアンスか?台詞回しか?分からない。ぼくは高畑さんに質問した。

 高畑さんは個別具体的に脚本の問題を指摘した。30分ほどかけて説明してくれた。ぼくはトイレに立った。用を足しながら考えた。すると、頭の中に何かが引っかかった。手を洗い、手を拭いて、席に戻った。


「高畑さんが指摘している問題は、共通して、描写に関してです。ただ、彼は脚本家で、文字で語りうる範囲のことしかできません。場面を細かく描写していく作業は、彼の仕事ではない。仮に彼が脚本上でそれをやったとしても、高畑さんと共通のイメージを彼に要求するのは酷です。櫻井氏の脚本の問題点を僕なりに整理すると、仰るとおり、彼には降りてもらったほうがいい。ただ、であれば、誰が書くかは明らかじゃないでしょうか。」


 高畑さんは黙って聞いていた。数分後、「僕が書くしかないようですね。」 高畑さんは、そう言って煙草に火をつけた。

 よし、うまく切り抜けた。ぼくはそのとき、そう思っていた。その考えもまた、甘かったことに後で気付く。

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