映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明」(2013年4月15日~9月1日)を再録


 K氏が担当を降りたとき、当時30歳の西村は、咄嗟に「やります」と言った。あのとき、「かぐや姫の物語」は、少なくとも僕の意識の上では、ジブリから宛がわれた仕事ではなく、自分で選んだ企画に変わった。

 高畑さんの映画を実現するのは難しい。名プロデューサーと言われる鈴木さんが、「あの人の映画を二度と作りたくないと思った」と、顔では笑いながら、目の奥に怒りを隠して言う。容易ではない。さらに企画に寄り添うのは鈴木さんではなく、無知極まりない30歳の西村だ。なんの経験もない一人の青年が、巨匠・高畑勲を監督に据えて映画を作る。簡単なわけがない。

 30歳の西村に分かっていたのは、それまでの約10年間、誰も高畑さんの映画を進めることが出来なかったという事実だった。必死に進めようとしたところで企画は岩のように動かないだろう。それは分かりきっていた。では、どうするのか。前のめりで向かって行ったら、映画が完成する前に、気が狂うかもしれない。それは避けたい。

 諦めよう。この映画は出来ない。みんなが関わっても映画にならなかった。西村が関わったところで、この映画が出来るわけがない。出来ない映画だとしたら、進むわけがない。なぜなら、この映画は出来ないのだ。だから進まない。じゃぁ、進めるのはやめる。そうだ、作るのをやめる。でも、作る。諦めてから、作る。

 高畑さんの映画を作るには、自分の全てを費やす必要がある。大げさに言えば、24時間365日。鈴木さんは、そうやって高畑さんの映画に向き合ってきたそうだ。ならば、高畑さんは僕にもそれを求めるだろう。自分の全てを費やす必要がある。

 しかし費やした時間と比例して企画が進むわけではない。何年もかかる。10年以上かかるかもしれない。若者の向こう見ずな熱意は行き場を失い、むしろ諸刃の剣となって自分の精神を蝕むだろう。精神が病む。人間が壊れる。そうなると、白旗を揚げ、泣きを入れるのも間近だ。そうはなるまい。

 完成させることを諦める。そうすれば精神は健全に保たれる。健康第一だ。健全な肉体と精神を持たないと、高畑さん、田辺さんとの長丁場を切り抜けるのは難しい。そのためには、欲と熱意を捨てる。諦めてから、一所懸命に完成を目指す。矛盾。無茶苦茶な考え。でも、それしかない。

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