この「床下の小人たち」騒動は、別作品の宣伝を兼務しながら高畑さんの映画を作っていた僕にとっては、大きな意味は持たなかった。しかし、高畑さんを専任として担当していたK氏にとっては、大きな出来事だった。あの騒動の後しばらくして、K氏は、高畑さんの担当を降りた。
2005年、「かぐや姫の物語」の企画の初期の初期、K氏はひとりで高畑さんを担当していた。しかし、田辺さんが絵を描かない。高畑さんもやる気を失い、K氏には別の仕事があてがわれた。企画は自然消滅した。
別の仕事がひと段落した後、K氏は、高畑さんの映画を作りたいと鈴木さんに直談判し、再び担当に戻った。そして西村も参加する。「柳橋」、「子守唄」と企画は転々とするが、とりわけ「子守唄」のときのK氏の頑張り様は、真似のできないものだった。K氏は企画を進めるために、見よう見真似で脚本を書いて、高畑さんに提出したりもした。
しかしK氏の頑張りも空しく、「子守唄」の企画は消滅し、企画は「かぐや姫の物語」に戻る。K氏が担当についてから既に3年が経っていた。そのときのK氏の心中を、当時の僕は察することができなかった。
また、あれを繰り返すのか。そして、また、映画にならないのではないか。今思えば、当時のK氏の心境とは、こうであったと思う。
「床下の小人たち」騒動からしばらくして、再び「かぐや姫の物語」の検討を続けていた或る日、K氏は僕に、担当を降りると伝えてきた。
その翌週。ぼくは、鈴木さんの部屋に呼ばれた。鈴木さんとK氏が座っていた。
鈴木さん「聞いてると思うけど、K、やめるってよ。」
西村「はい。」
鈴木さん「で、Kには別の仕事をやってもらう。そういうことになったから。」
西村「はい。」
鈴木さん「で、西村はどうすんの?」
西村「……はい。」
鈴木さん「高畑さんの、続けるの?」
西村「ぼくが降りたら、高畑さんの企画って終わるんですか?」
鈴木さん「うん。」
西村「じゃ、やります。」
咄嗟に出た一言だった。そのとき考えていたのは、ひとつだけだった。