映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明」(2013年4月15日~9月1日)を再録


 企画が「子守唄の誕生(仮)」から「かぐや姫の物語」に変わった時、ぼくらは何かを忘れていた。14ヶ月に亘る映画企画「子守唄の誕生(仮)」が頓挫した精神的打撃からだろうか、まったくもって大事なことを忘れていた。それは田辺さんのことだった。

 そうだ。田辺さんは、明治時代なら、ぎりぎり実感をもって描ける、平安時代は実感がわかなくて描けないと言っていたんだった。企画は「竹取物語」に戻った。それは、平安時代的なものに他ならない。(ちなみに「竹取物語」が書かれたのは奈良時代というのが有力な説だ)。

 企画が「竹取物語」に戻ってから間を置かずに、ぼくらは4スタに向かった。やはり、ダメだった。また始まった。


  「平安時代なんて実感がわかなくて描けません。」
 

 「柳橋」「子守唄」を経ても、何も変わることなく3年間に亘って繰り返されてきた会話。企画が変わったことで、ただでさえ精神的なダメージがあったのだが、そこにきて、この絶望的なやり取りが続くと、そして、それが今後も繰り返されることを思うと「人間的な何か」がどんどん蝕まれていく。

 世の中には、手当たり次第に描いて取捨選択する描き手と、熟考して頭の中にイメージを作ってから描く描き手とが居るだろう。田辺さんは後者だった。ずっと考えている。考えているが、描かない。頭の中で確固とした像を結ばない限り、手を動かさない。

 こういうタイプの描き手と一緒に仕事をするのは、傍らで寄り添っている僕のような人間にとっては、かなり難しいものを抱え込んでしまう。手が止まってしまったときに、本人以外の誰も、何が問題で止まっているのか分からないからだ。モノとして提出してくれれば、本人が気にかけている問題を共有できる。或いは本人が語ってくれれば理解しようと努めることもできる。しかし、田辺さんは雄弁に語ってくれるわけではない。雄弁に語れないから、絵をもって語ろうとする側面も、絵描きにはあるだろう。ただ、田辺さんは、その絵を描かない。

 とにかく、田辺さんは「実感がわかない」と言って、描かなくなった。そしてまた、いつものとおり、机の前に座り続けた。姿勢良く、鉛筆を持たずに。


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