映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明」(2013年4月15日~9月1日)を再録


 面白そうに思えるエピソードを並べ、そこから出発して企画として成立させようとした。考えて作り上げたエピソードは、断片的ではあるが、聞き書き等に基づくものが多く、それぞれ魅力的でリアリティがある。これを何とか実現できないだろうか。映画として成立させることができないだろうかと、高畑さんは考えていた。

 ある日、宮崎さんが言った。


宮崎さん「子守唄、面白いね。でも、ここまでだね。ここから先が難しい。日本には、農民文学というものがないんだよ。あっても、農民がどんなに大変な目にあったかというお話になってしまう。 これだって結局、『おしん』だろ。それを上品にやるってことになってしまうだろ。それに、農村を描くのは至難の業だ。もはや誰も農村なんて見たことがないんだから。」


 この宮崎さんの言葉は、高畑さんの懸念するところをズバリと言い当てていた。実際の守子の少女にも、苦労した子もいれば、奉公先でご飯を食べることができて喜んだ子もいる。どのエピソードもバラバラだが、そのバラバラさが守子の少女たちの魅力でもあった。描くからには、真実の姿に迫りたい。しかし、どういうお話に仕立てればよいのか。

 つまり問題は、枠組みだった。エピソード、断片を、どういう枠組みに入れるのか。バラバラのエピソードを提出しても、文化映画にはなるかもしれない。しかし求められるのは商業映画だ。商業映画として、どういうストーリーに仕立てるのか。ある側面に絞れば上品な『おしん』としては描けるだろう。しかし、高畑さんは、それを作りたいと思っているわけではない。

 ここで、企画は止まってしまった。


高畑さん「企画としては悪くないはずだ。しかし難しすぎる。集約できない。これまで枠組みを模索して、どうしてもうまくいかなかった。 今後の展望としても、枠組みを成立させるのは難しい。その先の作画の心配もある。できない。」


 14ヶ月、400日以上を費やした企画が一瞬で終わった日、高畑さんが発した言葉だ。その企画に一日の全てを費やしてきたK氏と僕だったが、僕らには何の手立てもなかった。無念だ。

 その後、2008年5月8日(木)、「子守唄の誕生(仮)」は鈴木さんへの報告を最後に、正式にお蔵入りした。


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