映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明」(2013年4月15日~9月1日)を再録


 映画企画「子守唄の誕生(仮)」は実現こそしなかったが、高畑さんの映画作りの一端を知れる貴重な経験となった。

 第一に徹底的に知ること。調べる。見る。読む。聞く。疑問を持つ。考える。これを延々と繰り返す。


  「『子守唄』企画を進めるにあたっては、まず、守り子たちの生活の実像を調べなくてはならない。守り子についての資料がもっと必要です。」


 ジブリには、文芸部はない。ぼくらは、監督の助手として、子守唄の資料を集めつづけた。そして、読み漁った。赤坂憲夫、赤松啓介、松永伍一、高群逸枝、柳田國男、宮本常一、モース、ジョン・F・エンブリー……etc。集めた書籍資料は241冊。本棚2つ分くらい。集めた映像資料は53タイトル。赤坂憲夫さん、子守唄協会の西舘好子さん、生前の松永伍一さんには取材もさせていただいた。「五木の子守唄」発祥の地である熊本県五木村にも2度、取材をしに行った。世界の子守唄を聞いた。聞き書きを集め、エピソードを集めた。絵画資料に守子たちの姿を探した。こうして、高畑さんは守子の少女たちの実像を求め続けた。

「『平成たぬき合戦ぽんぽこ』では、里山と狸、『おもひでぽろぽろ』では有機農業と紅花。映画を作り終えるとき、本が一冊書けるほどの知識を蓄えているのが高畑勲という監督だ」と鈴木さんは言っていた。まさか、これほどとは。

 そして高畑さんは蓄えた知識の海を、縦横無尽に泳ぎまわる。歴史から社会から、文化比較的観点から。文学に登場する児童労働の姿。絵画からは、日本に聖母子像がないのはなぜか。路上の守子たちを考えるうちに、差別の体系へと考えを巡らせる。そして戻ってくるのは常に現代。子育てとは何なのか。子守唄とは何なのか。歌が発生し、伝承していくメカニズムとは。なぜ多くの人が、子守唄に哀愁を感じるのか。

 高畑映画の根底には、世界に対する尽きることの無い疑問符がある。なぜ?どうして?これが、高畑勲の映画の作り方だ。ぼくはそう思った。


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