映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明」(2013年4月15日~9月1日)を再録


 高畑さんは絵を描くアニメーション映画監督ではない。アニメーターの田辺さんが絵を描く必要がある。その田辺さんが明治時代に興味を持っている。鈴木さんは僕らに提案してきた。

  「田辺くんが描かなければ『かぐや姫』は出来ないだろう。ここは企画を変えて、山本周五郎の『柳橋物語』を作ったらどうか?明治時代じゃないが、江戸末期を舞台にする時代小説。これだったら、田辺くんの条件に当てはまるんじゃないか。」

 柳の下で交わした約束「待っているわ」。幼き日のその一言に、おせんの人生は翻弄されていく。自分を好いてくれるふたりの男、庄吉と幸太との出会いと別れ。江戸の大火を生き残ったおせんは、猛火の中で記憶を失い、気付くと腕の中に赤ん坊を抱いていた。さてさて、おせんの運命や、いかに、というお話。

 あのころは、山田洋次監督が藤沢周平三部作を映画化した後だった。時代もの。鈴木さんの中で何らかのインスピレーションが沸いたんだろう。

  「高畑さんも興味を持つかもしれない。高畑さんが映画を作るときには、常に新しい表現を求める。新しい表現を見出したときに、高畑さんはやる気になる。この『柳橋物語』にそれがあるかもしれない。」

  「アニメーションで描くのが難しいのは、“水”と“火”だ。線で“水”と“火”をとらえるのは難しいんだ。今、宮さんは『ポニョ』で新しい水の表現に挑戦しようとしている。『柳橋物語』には、江戸の大火が描かれる。“火”が登場する。」

 高畑さんと長くやっているK氏と僕には、鈴木さんが何を言おうとしているのか、すぐに分かった。「十二世紀のアニメーション」という著書の中で、高畑さんは絵巻物とアニメーションの関係について論じているのだが、高畑さんが最大の関心を向けていたのが「伴大納言絵巻」だった。応天門の変を描いた平安末期の絵巻物。その中で、炎上する応天門が描かれている。その“火”の表現、線で捉えた“火”の表現に、そういえば、高畑さんはかねてから関心を寄せていた。

「柳橋物語」なら、映画の中に、「伴大納言絵巻」の“火”の表現を持ち出せる。高畑さんは、やる気になるはずだ。そして何より、田辺くんが求めている明治時代に近い。鈴木さんは、そう言った。

 この鈴木さんの助け舟が、高畑企画を大きく前進させることになる。


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