映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明」(2013年4月15日~9月1日)を再録


 「かぐや姫」の企画は、2005年にジブリでも映画化が検討されたが、実現しなかった。それは何故か。絵描きの田辺さんが、絵を描けなかったからだ。高畑さんはやる気を失っていき、当時担当だったK氏には別の仕事をあてがわれ、企画は自然消滅した。

 それ以前、2004年ぐらいに高畑さんが検討していた念願の「平家物語」も、アイヌの民話を題材にした企画も、田辺さんが一枚も絵を描けないまま、お蔵入りした。田辺さんを企画会議に呼んで打ち合わせるが、来るのは数回。その後は約束の時間と場所に、田辺さんは現れなくなった。担当者は早々に降りた。

 K氏が担当に戻り、ぼくが参加して「かぐや姫」の再検討が始まっても、状況は変わらなかった。どこに問題があるかは明らかだった。絵である。絵であり、キャラクターであり、イメージだった。高畑さんは田辺さんでないと作らないと言うが、田辺さんは「かぐや姫、平安時代は実感がわかない」の一点張り。一枚も絵を描いてくれない。

 当時、田辺さんは、拝合メイコさんが歌う「どれどれの唄」のプロモーションビデオを作り終え、4スタの住人であるアニメーターの大塚伸治さんと明治時代の人々の動きを研究していた。「平安時代は実感がわかない。どのように人々が暮らしていたのか、想像もできない。でも、明治時代だったら、資料を手がかりに、ぎりぎり察しはつく」そう言っていた。

 そこに目をつけたのが、鈴木さんだった。


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「どれどれの唄」PVから