映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明」(2013年4月15日~9月1日)を再録


 ぼくは、高畑さんの家に行く前に、毎日、4スタに行く。田辺さんに絵を描いてくれと催促に。田辺さんは、やりますよ、と言ってくれる。しかし、まったく描いてくれない時期が続いた。

 4スタに行くと、玄関には田辺さんの靴がある。いる。田辺さんの部屋は、キッチンの横にあり、じゃばらカーテンで仕切られている。そのじゃばらカーテンを開けると、机に座っている田辺さん。僕のほうを見て「こんにちは」。机の上を見ると、絵を描いている形跡がまったくない。紙は広げられておらず、鉛筆は整然と置かれたまま。まずは鉛筆を握ってください。

 これが毎日同じだった。田辺さんは机に座っているだけ。気付かれないように、しのび足で近づき、こっそり覗いてみる。その姿は、まさに禅僧のようだった。何をするでもなく、座っている。ただ、座っている。修行なのか。悟りを啓くのか。微動だにしなかった。しかも、その姿が凛々しいのだ。いや、描いてください。

 絵を見られたくなくて、隠しているのかと思い、田辺さんの机をあさっても、描いた痕跡がゼロ。彼は描かない。聞くと、「実感がわかなくて」と言う。色々と話す。こうしてみたら、と提案する。こういうの見てみたら、と提案する。でも、だめ。無駄だった。描いてはくれない。「実感がわかなくて」と言う。そう言って笑う。その笑顔が、なんというか、さわやかなのだ。包容力がある。だから描いてください。

 彼は4スタの所長として、スタジオの管理をきちんとしている。おかげで4スタは男所帯でも清潔に保たれていた。でも、それで給料が支払われているわけではない。職業はアニメーターです。高畑さんの映画のために、かぐや姫の絵を描いてください。

 なんだかんだ、こういうやり取りを、毎日繰り返した。3年ぐらい。

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