映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明」(2013年4月15日~9月1日)を再録


 「ジブリに企画会議はありません。企画は宮さんと僕の立ち話の中から生まれるんです。」 鈴木さんはインタビューに答えて、よくこう言う。

 ただ、これは「かぐや姫の物語」には当てはまらない。高畑さんの場合は少し違う。いや、大きく違う。高畑さんの映画を作るためには、まず高畑さんを説得するところから始めなければいけない。高畑さんは、ジブリの社員ではなく、フリーランスのアニメーション映画監督だ。映画を作るためには、高畑さんに監督を引き受けてもらわなければならない。

 今回、高畑さんが映画を作ると決意するまでに、約1年半かかった。K氏とぼくは、毎日10時間、高畑さんのご自宅に通い続けた。その間、高畑さんの姿勢は、いつも同じだった。「ぼくは、映画を作りたいと一言も言っていない。君らみたいな若い人間が、映画を作りたいと言って押しかけるから、参考までに意見を言っているだけだ。」

 色々なことを話した。企画のことばかりじゃない。社会のこと、政治のこと、映画、音楽、絵画……ありとあらゆること。高畑さんの知識に圧倒される日々。高畑さんの口から出てくる物事の9割は、僕の知らないことだった。ぼくは人生ではじめて、「知の巨人」という人種に出会った。

 高畑さんの家に通い続けて分かった。これは、高畑さんを説得するどころの話じゃない。高畑さんのことを知らなさすぎ、高畑さんが知っていることを、知らなさすぎる。圧倒的な知識の差。企画の話に入る以前の問題だった。

 一日の終わり、24時間営業のマクドナルドへ寄るのが日課になった。深夜0時ぐらいから2時間、安いコーヒーを飲みながら、高畑さんが話題にした本を読む。その日新たに話題にのぼった本やCDをインターネット経由で購入する。家に帰って、映画を一本見たりもする。高畑さんの会話に付いていくだけで必死な時期だった。

 ある人が聞いてきた。「いったい高畑さんの家で何をやってるの?」職場は、ほぼ高畑家。ジブリにいる時間は、ごくわずかになっていた。企画はいっこうに進まず、気付くと自宅の本棚だけが充実していた。

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