畏敬、としか言いようのないような……

奇跡の大楓


乳白から浅葱、群青へと色うつりする霊山、向こうに彩雲。そのすべての、あわひを映しだす「水鏡」。

日々、こんな風景を見せられています、安曇野。


「田に水がはいると、格別だよ」と地元の友達に聞いておりましたが、聞きしに勝る田園ピクチャー…。

ぽかーんと車を停めて、むちゅうで撮影していたら、いつの間にか、うしろに真っ赤な松本ナンバーが、しずかに停まっていました。

「あっ。ごめんなさい」と言ったら、だまってにっこり手を振ってくれる、白髪の紳士。

安曇野の人は、黙ってにっこり待ってくれる。


安曇野には野生の日本みつばちが沢山いて、見惚れます。養蜂やろうかな…

空気。水。緑。食・・・・いつも驚いてぽかーんと口をあけて停止しているので、さぞ人様に迷惑をかけていると思うんですが、いつもしずかに待っていてくれるんです。

なにより驚いた「待ち」は、交差点の右折優先ルール。
左折ドライバーならともかく、直進車まで「行きな、先に行きな」と身振り手振り、またはパッシング。

「え?」「え?」はじめは面食らいました。

地元友人すーちゃんに聞いたら、
「右折で詰まると気の毒だから、行かせてあげようっていう独特の気遣いがあるの。松本走りって呼ばれるんだよ」。

松本走り不安なにその不文律。

豪雪地帯ならではの忍耐と微笑みの通底気質でしょうか。

しかし、こんな地元ルールを真に受けてあぐらをかいてはいけません。

先日、とある合気道の達人を訪ねようと、車を急がせていたら、左から来た車がなんとなく停車してくれたので「あ、また右折ルールかな?」

通りすぎつつバックミラーで見たら、その車はずーっと停車している。何か言いたげです。
「??」

あとでお隣の村役場の「鬼軍曹」が、ゆがいた筍を届けに来てくださってたとわかりました。
合図に気づかなかったので、玄関に筍をそっと置いてくださっていた…。

右折ルールは油断ならず。四方に顔あり、情けあり。

2019年、松川村でのみつはしちかこ展開催以来、お世話になっている鬼軍曹 (鬼のように仕事できるのでそうお呼びしている)は、この季節にしか食すことのできない朴葉餅とかお手漬けのわさび菜とか山菜とか手造り濃厚醤油とか味噌とか信州の旨いもんをどしどしどし、それこそ鬼のように分けてくださったり、親身に移住者の世話をなさったり、



安心な移住というのは、こういう地元の鬼子母神みたいな方と巡り会えるかどうかが、決め手な気がします。

2012年に男性長寿No.1をマークした松川村には、独特の地場があります。幻の米がすくすく育ってるよー。移住ご希望の方には、ぜひ鬼軍曹をご紹介したいです。


塩漬けの桜on朴葉もち。一年のうち限られた日にしか食べられません…不安


安曇野の気質、季質、土壌、人情と関わりがあるのかわからないけれど、「内観」の施設も多い安曇野。

大きなケア・ヴィレッジの中核をになう施設で、全国から集まってきた患者さんたちが、カフェや作業所、畑、宿泊施設などで再生をはかっておられます。

K院長の診療は約1年待ちで、院長がガイドする朝の瞑想や講話は、基本的にクリニックの入所者しか受けられないのですが、ひょんなご縁があって、お誘いを戴きました。

そこである日、訪れてみたら、、

なんと院長先生のお誕生日でした。
また奇縁を引いてしまったなと思いながら、お祝い申し上げると、「僕は本当は眼鏡は要らないんです…」
ふしぎなことを仰って、眼鏡もマスクも外した院長、サーっと私の中をスキャン。

「あ。いろいろ見抜かれたー真顔
私のなかの光と陰を一瞬でスキャンした院長、一瞬キュッと御目を細めましたが、「今後も会に参加していいですよ」と、許可してくださいました。修行が必要だと思われたのかもしれない。



聖書を読みながらの解釈は、K院長講話の醍醐味のひとつで、あの獣の刻印の話も、コロワク騒動に絡めてお話し済みだとか。さすがです。


若い頃は「聖書」界隈に近づかないようにしたものだけれど、
いまは「神」とか「イエス」とかいう言葉通りのアイドル(偶像)ではなく、仏教もカタカムナも神道も団子にしてこねて伸ばした、「something great」的な抽象概念に自動翻訳している気がして、歳をとるのは有り難いと思います。

「自分の苦しみこそが、人を癒す、慰めるーーー」というような一節が、その日は心にしみました。

そのとおりだ。施術ひとつにしても、負荷が大きければ大きいほど、反転できる。

普段は恬淡とし、ユーモラス、辛口だという院長、

なぜかその日は、ある音楽を流し、「この曲を聴くと、涙が溢れてきます」と、言葉を詰まらせながらおっしゃいました。


 



It is well with my soul

シカゴのとある実業家の話が元となっている賛美歌。

ーーーー信仰心の篤い弁護士にして法理学教授、投資家である裕福なホレイショ・スパフォード。

妻と4人の娘、1人の息子と何不自由なく暮らしていたが、ある日、一人息子を猩紅熱で亡くし、その直後、シカゴの大火災で、事業に大きな損失を負いました。

傷心の癒え切らぬまま、欧州への家族旅行を計画しましたが、自分だけ仕事の都合で足止めとなり、先に妻子を船に乗せて見送りました。

しかし船は海難事故に遭い、娘4人が全員亡くなってしまいました。

ただ一人生き残った妻を迎えにゆく航路で、平静を装うスパフォードでしたが、船長の案内で、娘たちを失った海に差しかかったことを知りました。

悲しみに打ちひしがれる中、しかし突然「神」の存在を感じ、ペンを取って綴った詞が、この著名な賛美歌の元となる。

絶望のさなか、それでも、

It is well with my soul..

「私の魂は、至って安らかである」

ーーーとても著名なエピソードなので、以前に聞いたことがありましたが、
数年ぶりに聴いた今、突然、雷に打たれたように感じたことがありました。

スパフォードは、強い信仰があったからこそ、全てを失った。
深い、深い心の奥底では、子どもも財産も全て失いたかった。
それこそが、“神の思し召し”に寄り添えた瞬間だった。

これは量子力学の法則だ。

ひょっとして本人の潜在意識ですらなく、歴史(家系)やDNAの為せることかもしれないけれど、

スパフォードの力学と、同じようなことを私たちは実践していて、それになかなか気づいていないのだと思います。


がん、うつ、パーキンソン、筋ジストロフィ、ALS、双極性障害、肝硬変、糖尿病……日々、いろんな方を施術させて戴きますが、

全ては、そうなりたくてなった病気であると、

お互い身に染みるように分かち合って、はじめて成り立つ施術があります。

ですので、伝える準備と受け取る準備ができていない場合、施術を見送らせていただく場合があります。

スパフォードのようにすべてを失う前に、そこに(底に)気づけるか。

だから、その日まで待っています。


でも、私のように、穿った考え方をする人間でなく、K院長の涙は、ひたすら信仰への敬いと愛に満ちていました。

私はそういう人のかけねなしの善良さ、みたいなものに涙が出てしまいます。


安曇野にはK院長のような名医や達人がたくさん居られます。少しずつご紹介するとともに、皆であなたをお待ちしています。





名前なんて要らなくて、ずーっと名前のないサロンでやってきましたが、

「SANKA」と屋号をつけました。

安曇野穂高の古民家では、9月3日(土)に、稀少なタオライアーの奏者を富山県からお呼びして、魂のヒーリング会をおこないたいと思います。
私の尊敬する自然療法の先生もおよびして、お話してもらいましょう目がハート

SANKAのオープニング会のようなものでしょうか。
ミニギャラリーもオープンさせたいな(工事待ちです)

ライブラリーもできたよ。

宿泊希望者は、7〜8名くらいまでは可能かな。
近くにいい宿もたくさんありますよ。
どうぞ、9/3、日程を空けていらしてください。