初雪はあっという間に消えましたが、今日は恐ろしく冷えましたね。肺が冷えすぎておセンチ気分になります。

いろんな仕事の打ち合わせを済ませ、事務所に戻ると、弊社のみつはしさんが、やつれた形相でお待ちでした。

私が原案を立て、みつはしさんが作画しているノンフィクション漫画がなかなか進まず、ここ何日も悩んでおられます。

体調がとても良くないよう。大ベテランが弱り果てるのを見て、私の原案がいけなかったのかしら、スイマセンと いたたまれない気持ちになります。

お茶ものどを通らず、白湯をすすって 原稿に向かうみつはしさんを見ているうち、 ある女の子のことを思い出しました。

なんで忘れていたんだろう……



'80年代はじめ、私は北国の片田舎に住んでいました。

マイちゃん、という心臓に穴のあいている友達がいた。

マイちゃんには先天的障がいがあり、心臓だけでなく、脳や体の成長も止まっていた。めちゃめちゃ小さい背丈の子だった。
   
「彼女に思いやりを」と私らは先生に言い聞かされていたが、マイちゃんは、目玉の飛び出るようなホラを吹くので、児童たちから敬遠されていた。

「おとうさんは社長で、うちは5階建てなのさー」という、いかにも黄金率なウソはともかく、

「だから、あんな子より私と一緒に遊べやー」と、人の耳をつねるのが、障がい児と思えない力で、痛いのなんのって。

マイちゃんの父は大工さんだったし、家の高さは日によって5階になったり7階になったりした。

「を」と「よ」の字が書けないところが、一番いただけないなあ と私は思っていたが、彼女はなぜか私たち姉妹を好いて、放課後、よく追い回してきた。

私と妹の面倒を見ると言って家に上がり込んでは、宿題を写したり解かせたりおやつを強奪したりした。

なまりのある転校生の家に、単純な物珍しさがあったのかもしれない。

しかし、体力・気力的にサル並みだった私たちが、そんなマイちゃんに愛想を尽かすまで、長くはもたなかった。

運動するたび癇癪を起こし、ゼイゼイと息を切らし、へたばるマイちゃんの面倒を見るのも、だんだんしんどくなってきた。



ある日、作文の宿題を書くために、うちに上がり込んでいたマイちゃん。

私の「将来のゆめ」を熱心に聞かれて、つい得意になって、ていねいに教えた。

そうしたら翌日、先生に指名されたマイちゃんは、朗々と、

「将来は作家になりたいです。本は、ひとの気持ちを変えられるからです」 と発表した。

学校中が、字も書けないマイちゃんの夢(未来)に震撼としたり爆笑したりしたが、私は青ざめて、夢を返せーと心で叫んだ。


そんなわけで私は放課後、マイちゃんをまくようになった。

曲がった足でちょこちょこ走る彼女を見ると、少し胸が痛んだけれど、
「でも、ひとの夢をとるのは、いけないっしょー」と、近所の子らに言われ、
「そうっしょー」 と答えていた。

マイちゃんは、唯一のおともだちである私たちに見放され、危機感を覚えたらしく、ある日賄賂を抱えて学校に来た。

「さやちゃん、誕生日おめでとう、私の大好きな本あげるさ!!」と、渡されたのは。

それは、私が、「マイちゃんの誕生日」にプレゼントした、 大好きなみつはしちかこの画集だった。

裏表紙に、マイちゃんへ、と小さく私の書き込みがあった。

しかも誕生日は大幅にずれていた。

こらいかんわと思い、今度こそ口をきかなくなった。


それからまもなく、我が家に急な引っ越しが決まるまで、マイちゃんの記憶がほとんどない。



彼女が急逝したと知らされたのは、転校後まもなくだった。

何かの、心臓の処置が失敗したらしかった。


「初雪が降ったので、マイちゃんは雪の天使になったとおもいます。悲しいけど、元気をだして…」

みたいな、友人たちからの手紙を読んで、母親は泣いたが、私は泣けなかった。
重くて、鬱陶しくて、息苦しかった。

今日、ゼイゼイと、事務所で、私の目の前で、苦しそうにしているみつはし先生を見て、

彼女を数十年も忘れていたことに、ショックを受けている。

マイちゃん、あなたが好きだといった本の人が、ここにいるよ。

「ひとの気持ちを変えられる」本物の作家さ。

ゆめをとったきり、返せてないのはどっちさ。

「悪いのはどっちさー」と、マイちゃんはよく、友達とケンカするたび叫んでいた。

そうさね。マイちゃんは全然悪くなかったよ。

いつも一生けん命だったね。ゆめもほんものだったね。


少しずつ、一生かけて返すから、まってて。


私がいつか、そこに辿り着いたら、また一緒に本を読もうよ。