イベリアンブルース
少し前になるが、ポルトガルの庶民の歌「ファド」のドキュメンタリー映画を見た。
スペイン・ラテンアメリカ映画祭上映作品で「フランメンコ」「タンゴ」のカルロス・サウラ監督が、ポルトガル発祥のファド・ミュージックを追ったものである。
…結論「ファドはイベリア半島のブルースである!」。
(一応検索してみたが、このように言っている人はいなかったので、「新説」もしくは「超的外れ」かも…)
と言っても、自分はファドと言う音楽を何度か聞いた事がありその独特な雰囲気に引かれてはいたものの、マニアでも深い知識を持っている訳でもなく、たまたま映画の公開初日の招待券が手に入ったので見に行ったのであるが。
一応ファドについては…(いろんなとこからコピペ引用)
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その起源については諸説があり、わりあい広く認められている説は、大航海時代にポルトガル人達が植民地ブラジルへ連れて行ったアフリカ人奴隷達の踊り「悲しげな舞曲 Fado 」が、植民地から収奪した金やその他の産物とともに、港町リスボアに逆輸入されたというものだ。
多様な人種と文化の混合する植民地ブラジルから渡ってきた踊り Fado は、 アフリカ色の強い様々な踊りがミックスされ、当時同様に南アメリカ大陸に広く進出していたスペイン支配下のアルゼンチンの「ファンダンゴ」にも影響された、きわめて官能的な踊りだったとのことである。
リスボアに上陸したこの官能的な踊り Fado は、奴隷としてポルトガルに連れてこられた黒人達や、混血達が多く集まり住んだ古い市街地アルファーマやモウラリアを中心に、リスボアの黒人の間にブームを巻き起こした。
古びたリスボアの下町で大いに歌いながら踊られた奴隷達の Fado は、やがて舞台音楽や他階級文化の影響を受けるうちにアフリカ的な打楽器の伴奏が次第に失われ、歌の部分のみが強調されて伸び縮みの多い叙情的な歌謡に変化してくる。
19世紀に入ると植民地支配の栄光の時代は終わりを告げ、ブラジルやアフリカの植民地を次々と手放したポルトガルは暗い困窮した黄昏の時代に入る。
その暗い世相の中で、現在歌われるスタイルの Fado は、貧しい人々が集まる下町の石畳に響くように、裏町の安酒場や売春宿から歌い出された。
歌を創るのも歌うのも最下層の人々だった。荒んだ生活や辛い暮らしのうさを振り捨てるかのように、想いのたけを歌に託してほとばしらせたのである。
Fado の歌い手を Fadista (ファディスタ) と呼ぶが、 Fado が最下層の人々の歌であったため、 Fadista という言葉は元々は「やくざ、ならず者、売春婦」の含みを持っていた。
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…と言う事でした。
この歴史だけでも、黒人音楽好きにとってはブルース的な匂いがぷんぷんである。
ギターラ(洋梨型12弦ギター)の奏でる伴奏に乗って、ファディスタが歌うのは、ブルースと同じく「悲しい恋」「絶望的な生活」から「したたかな生命力」「捨てない希望」や「楽しいダンス天国」的なものまで幅広い。ただ、哀愁ある旋律の独特の雰囲気は、我々日本人にとっては「暗く悲しく寂しい」イメージとして捉えてしまいがち…まあ、外れてはいないと思うがもっと幅広いのである。
映画の中では、現在におけるファドの様々なバリエーションも紹介されていたのだが、「ファド+フラメンコ」のイベリアンハイブリッドから、
「FADO+HIP-HOP」なんてのも出て来た。
…ほら、ますますブルースっぽくなって来た。
「FADO+HIP-HOP」はカッコ良かったです。
M-AUDIOの小型のキーボードコントローラとPowerBookを卓にセットした2人組のにいさんが英語とポルトガル語を混ぜてラップする。
字幕で見た範囲では、リリックが超ポジティブ!
「俺たち職人の誇りはこの腕だぜ」
「ハンマーを打ちおろせ、それが俺の使命」
「この道を迷いなく進め!腕を磨け」
…確かこんな感じ。こういうタイプのリリックは今の日本やアメリカにはないでしょう。
あっ、さぶちゃんの「与作は木を切る~」は、ちょっと近いか(?)
この辺が庶民生活に根づいたファドでならではである。
ところで男性ファディスタは「片手をポケットに入れて歌う」のが流儀(?)らしい。
…この辺はブルースよりも小林旭的とも言えるが。
映画が終わるとカルロス・サウラ監督が会場に登場し、質疑応答があったのだが
通訳が難しいのか、質問内容と回答内容が全くちぐはぐ。
質問者もよけいな含みを持たせた言葉を選ばずにズバッと聞けばいいのに。
極東の島国とイベリア半島の文化の違いか(?)
スペイン・ラテンアメリカ映画祭上映作品で「フランメンコ」「タンゴ」のカルロス・サウラ監督が、ポルトガル発祥のファド・ミュージックを追ったものである。
…結論「ファドはイベリア半島のブルースである!」。
(一応検索してみたが、このように言っている人はいなかったので、「新説」もしくは「超的外れ」かも…)
と言っても、自分はファドと言う音楽を何度か聞いた事がありその独特な雰囲気に引かれてはいたものの、マニアでも深い知識を持っている訳でもなく、たまたま映画の公開初日の招待券が手に入ったので見に行ったのであるが。
一応ファドについては…(いろんなとこからコピペ引用)
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その起源については諸説があり、わりあい広く認められている説は、大航海時代にポルトガル人達が植民地ブラジルへ連れて行ったアフリカ人奴隷達の踊り「悲しげな舞曲 Fado 」が、植民地から収奪した金やその他の産物とともに、港町リスボアに逆輸入されたというものだ。
多様な人種と文化の混合する植民地ブラジルから渡ってきた踊り Fado は、 アフリカ色の強い様々な踊りがミックスされ、当時同様に南アメリカ大陸に広く進出していたスペイン支配下のアルゼンチンの「ファンダンゴ」にも影響された、きわめて官能的な踊りだったとのことである。
リスボアに上陸したこの官能的な踊り Fado は、奴隷としてポルトガルに連れてこられた黒人達や、混血達が多く集まり住んだ古い市街地アルファーマやモウラリアを中心に、リスボアの黒人の間にブームを巻き起こした。
古びたリスボアの下町で大いに歌いながら踊られた奴隷達の Fado は、やがて舞台音楽や他階級文化の影響を受けるうちにアフリカ的な打楽器の伴奏が次第に失われ、歌の部分のみが強調されて伸び縮みの多い叙情的な歌謡に変化してくる。
19世紀に入ると植民地支配の栄光の時代は終わりを告げ、ブラジルやアフリカの植民地を次々と手放したポルトガルは暗い困窮した黄昏の時代に入る。
その暗い世相の中で、現在歌われるスタイルの Fado は、貧しい人々が集まる下町の石畳に響くように、裏町の安酒場や売春宿から歌い出された。
歌を創るのも歌うのも最下層の人々だった。荒んだ生活や辛い暮らしのうさを振り捨てるかのように、想いのたけを歌に託してほとばしらせたのである。
Fado の歌い手を Fadista (ファディスタ) と呼ぶが、 Fado が最下層の人々の歌であったため、 Fadista という言葉は元々は「やくざ、ならず者、売春婦」の含みを持っていた。
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…と言う事でした。
この歴史だけでも、黒人音楽好きにとってはブルース的な匂いがぷんぷんである。
ギターラ(洋梨型12弦ギター)の奏でる伴奏に乗って、ファディスタが歌うのは、ブルースと同じく「悲しい恋」「絶望的な生活」から「したたかな生命力」「捨てない希望」や「楽しいダンス天国」的なものまで幅広い。ただ、哀愁ある旋律の独特の雰囲気は、我々日本人にとっては「暗く悲しく寂しい」イメージとして捉えてしまいがち…まあ、外れてはいないと思うがもっと幅広いのである。
映画の中では、現在におけるファドの様々なバリエーションも紹介されていたのだが、「ファド+フラメンコ」のイベリアンハイブリッドから、
「FADO+HIP-HOP」なんてのも出て来た。
…ほら、ますますブルースっぽくなって来た。
「FADO+HIP-HOP」はカッコ良かったです。
M-AUDIOの小型のキーボードコントローラとPowerBookを卓にセットした2人組のにいさんが英語とポルトガル語を混ぜてラップする。
字幕で見た範囲では、リリックが超ポジティブ!
「俺たち職人の誇りはこの腕だぜ」
「ハンマーを打ちおろせ、それが俺の使命」
「この道を迷いなく進め!腕を磨け」
…確かこんな感じ。こういうタイプのリリックは今の日本やアメリカにはないでしょう。
あっ、さぶちゃんの「与作は木を切る~」は、ちょっと近いか(?)
この辺が庶民生活に根づいたファドでならではである。
ところで男性ファディスタは「片手をポケットに入れて歌う」のが流儀(?)らしい。
…この辺はブルースよりも小林旭的とも言えるが。
映画が終わるとカルロス・サウラ監督が会場に登場し、質疑応答があったのだが
通訳が難しいのか、質問内容と回答内容が全くちぐはぐ。
質問者もよけいな含みを持たせた言葉を選ばずにズバッと聞けばいいのに。
極東の島国とイベリア半島の文化の違いか(?)