コントロールする者とコントロールされる物 | studiofixのブログ

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完璧なコントロールは、達成感や、力の感覚をもたらす。
自分の体であれ、周りの人間であれ、組織をであれ。
何か自分が、特別な存在だという気にさせる。
コントロールする者の側に同一化してるので、正当化されるのだろうが
コントロールされる物からすると征服されたと言うか。
他人をコントロールしようって者は、相手を物として扱う。
仕事上なら、便宜的にそういう関係が必用なのかもしれないが、
屈服して幸せな人はいない。
他人をコントロールする人について書いてきたいわけではない。
自分の中にあるコントロールする者と、コントロールされる物という
自己矛盾が、今日のテーマだ。
他人をコントロールする人の中にも絶対あるものだから、
こっちが本質的な問題だ。
自分の中に、する自分とさせられる自分がある事自体、
そもそもおかしいと思わないか?
体は自分と思ってないから気にならんのかもしれない。
それはつまり物として捉えてる。だから物として使う。
その人が内心で思ってる通りにしかならんので、
体は物以上にならない。
そんなことより自分の満足の方が、大事になる。
コントロールされる側から考えてみよう。
完璧なコントロールは、完璧な拘束だ。
感じる主体は体であって、自由なコントロールは即ち不自由感だ。
皆、なにか自由でない感じを抱いてるのは自分が主体だからだ。
その自分の範囲が、全てを含んで超えてるならいいのだが、
自分の体ですら含んでない。
だからこそコントロールしなきゃならない。
他者だから、異物だから。
他人をコントロールする前に、自己矛盾を解消して、
解放されたまま、世界とかかわらないと、誰も幸せにならん。
ホントは自己内で対立してては、世界とダイレクトには
関われない。
施術についても、自分で自分を治す時、
治す自分と治される自分を作らない。
その自己矛盾こそが、解消されるべき病だから。