神様と繋がる

 

という感覚はわたしにとって、

 

キラキラしたものでも

ただ心地よいものでもなく、

 

痺れながら全身に戦慄が走り圧倒される

 

そんな体験です。

 

 

その感覚をあえて言葉にしてみれば

 

わたしたち人間を人間たらしめている全ての条件を超えてしまう

 

そんなたった一回限りの、絶対的な経験なのです。

 

 

そしてこの感覚は

子供の頃は誰だって経験したことのあるような、

ただ何気ない瞬間に訪れることもあります。

 

 

 

 

3歳~5歳の頃

わたしは毎日のように家の周りの川辺で遊んでいました。

 

その川は当時は護岸されてなくてむき出しの土で覆われていて

 

住宅もあまりなかったため

 

オタマジャクシが何千匹も泳いでいたし

秋になるとトンボがびっしり止まっていました。

 

西日が落ち葉に反射してあたり一面に黄金の光を撒き散らすなか

 

虫を捕るのが好きだったわたしは、毎日網を持って追いかけまわして遊んでいた

 

そんな時期でした。

 

 

 

 

色々な生き物の気配に触れる感覚は、どこか陶酔感を誘うものでしたが

 

なかでも蝶を掴まえたときの感覚は特殊なものがありました。

 

 

 

蝶を網で捕獲してから、

あの薄く弱々しく繊細な翅を指でつまむと

 

その摩擦から鱗粉が散ると同時に

 

ぶるぶる

 

っと

 

思ってもみないような力強い震えが伝わってくるのです。

 

まるで翅が取れて壊れてしまいそうなほどのバイブレーションに

 

わたしは戦慄を覚えました。

 

 

 

戦慄を覚えたのは

 

蝶の羽ばたきそのものに、ではなく

 

そのバイブレーションを通して感じてしまう自分自身の反応の方でした。

 

 

 

この軽くて重たい全生命を、

たった一人わたしが握っていることへの全能感と、少しの罪悪感。

 

 

 

ひょっとしたら

神と人が一つになった時、

人間が全ての力を使えることになった時、

 

行き場を失ったエゴはおそらく

罪悪感という隠れ蓑を作ってそこに逃げ込むのかもしれません。

 

 

 

 

わたしたちの多くはなぜ、

自分自身の力を100%出すことができないのでしょうか?

 

なぜ、神たる自分自身に目覚めることを

拒み続けるのでしょうか?

 

それはおそらく

 

わたしたちが、自分の肉体(だと思っている)諸々の条件に意識を閉じ込めるという

 

物質次元の取引きに無自覚に同意してしまっているからではないかと思います。

 

 

 

 

そこからブレイクスルーを行うには、クンダリーニ上昇によって

 

 

感情の蓋を思いっきり外すか

 

オーガズムを感じきるか

 

しか、今のところないのかもしれません。

 

 

そしてこれを行うことで得られるものは

 

罪の意識などでもなんでもなく、

 

宇宙の全生命への敬意と共感に他ならないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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