人気の日曜劇場「下町ロケット」終わっちゃいましたね~
わたしもかなり見入ってました(;^_^A
TVばかり見ていてはだめ!
たまには読書もしないと!
と思い立ち、
ロケットつながりで日本のロケット開発の父である糸川英夫博士の伝記と著書を手に取りました。(単純すぎ・・・笑)
本を2冊読んで、
この糸川先生、びっくりポン(またTV・・・笑)のスーパーシニア君だと知りました
戦闘機やロケット開発にとどまらず、好奇心旺盛で
45年もかけオリジナルのバイオリンを作ってしまったり、
62歳でバレエを始め、
その後帝劇のロミオ&ジュリエット(モンタギュー伯爵役)の舞台に立ってしまったりと、
盛りだくさんな人生を歩んだお方です。(ノ゚ο゚)ノ
以下バレエ部分の抜粋です。
糸川英夫著書より
◎能力は死ぬ瞬間まで上昇する
- わたしは60を過ぎてバレエを始めたとマスコミで騒がれた。60を過ぎた人間でもバレエでは0歳であるから赤ん坊であり幼児ということになる。人間にはいろいろな能力があるが、いつも新しい能力に挑戦することは、いつも赤ん坊の状態ということ、つまり永遠に若さを保つこと、死ぬ瞬間まで若く生きていることになる。この世を去る瞬間まで能力を低下させないで生きることができるというのは、このことである。
60を過ぎてバレエに通いだし、帝劇でロミオとジュリエットに出演したわたしを見て(実際の7年間の努力を見ていない)観客は「なんとロケットだけでなくバレエもやるなんて天才だ!」となる。
能力というものは、親からもらうものでもないし、学校からもらうものでもない。自分で創るものなのである。つまり、独創するものなのである。 だからわたしは、能力とは、時間をかけて自分で創るもので、親からもらった才能とか、学校からもらった能力は、役に立たないと思っている。
森下洋子さんが言っていたが、体が弱くて、これではしょうがないということで親にバレエをやらされたのだという。貝谷八百子さんもそうで、骨がまるで細くて、この子は十歳以上生きないだろうから、せめてバレエでもやって体を鍛えさせようと、バレエの練習を始めさせられたのだそうだ。
つまり、体も柔らかく、プロポーショソも最高だからバレリーナになれるのではない。
わたしの場合、「糸川さんはもともと才能に恵まれていたから」といわれると、冗談じゃないと思う。わたしは航空科を出たので、飛行機のことは多少習ったが、それ以外はだれにも習っていない。
向上のための一歩を踏み出すか、それがポイントになる。 階段を上がるか、上がらないか。階段の下で立っているか、毎日一段ずつ上がっていくかで、十年たったら、いるところが全然ちがってくる。たとえ時間は短くても、階段を一歩上がるのとゼロとではたいへんなちがいがある。
紙一枚の厚さというのほ、ほとんど測れないくらい薄い。しかし、電話帳を二十冊積んでみれば、背の高さになる。 だから、十分でも二十分でもいいから、決められた階段を上がる。それを続けられれば、ある日、きっと、それまで自分が夢見ていた頂点に立っていると思う。
天才になるという方法は、まさにそのように、自分で階段を上がる方法を独創することなのである。そして、それを続ける根性と気力といえる。
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以下、『糸川英夫伝』より糸川先生が向上の為にどう一歩踏み出していたかをご紹介します。
- バレエを始めてからの糸川はより足を高く上げるために毎日タンスの引き出しに新聞紙を一枚ずつ積み重ね足をより高くあげる努力をした。
新幹線で移動する時は、客車と客車の間にバーがあり、バレエ学校のバーと同じくらいの高さだったので、そのバーにつかまってバレエの体操をしていた。
大変だったのは、バレエ学校に通っていることは家族や事務所の人たちには内緒にしていたので、汗だくのレオタードやタイツを洗濯して目立たないところで乾かすだった。
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というようなお方です
ロケット博士が陰でお洗濯していたなんて、可愛らしい❤
実際新幹線でプリエをしている60代のオジサマをがいたら、
ギョっとしてしまいそうですが、
もし今後そのような方を見かけたら暖かい目で見守りたいと思います≧(´▽`)≦
果たして糸川博士より全然若いわたしは今階段を上がっているのだろうか。。
下で突っ立っていないか自分を見つめなおそうと思います!
たまには読書もいいもんですね~❤