紀元前5世紀頃、インドではバラモン教の伝統にとらわれず、自由に, 合理的にものを考えようとする自由思想家たちがあらわれた。
ブッダはその代表者であり、彼の説いた教えが仏教である。
ブッダは本名をガウタマ=シッダールタという。ヒマラヤのふもとの小国カピラヴァッツで、シャカ(釈迦)族の王子として生まれたと伝えられる。物質的には恵まれた生活を送ったが、人生の苦しみの問題に悩んだ彼は、29歳のときに出家して修行者になった。
はじめは断食などの苦行を行ったが、やがてその無意味さを悟り、35歳のときにブッダガヤの菩提樹の下で瞑想をして悟りを開いた。
ブッダとは「真理に目覚めた人」という意味である。すみやかに流れ去る無常な人生をいかに生きるべきかを、仏教は説いている。
四苦八苦
ブッダは、人生に必ずともなう生・老・病・死の苦しみ(四苦)を直視した。
私たちは生きることを願いながらも、やがて老い、病み、いつかは死を迎えなければならない。
八苦
愛する人ともいつかは別れなければならない(愛別離苦)
憎い人とも出会わなければならない(怨憎会苦)
求めるものは得られない(求不得苦)
五つの要素から成る心身の苦悩を逃れることができない(五陰盛苦)
これらを含めて八苦といい、四苦八苦の由来になっている。
ありのままの人生の現実は,さま ざまな苦しみに満ちている(一切皆苦)。
無常・無我
苦しみの根底には、すべてのものは永遠に続くことはなく、時の流れとともにたえず変化し、消滅していくという事実がある。
この世に生まれ出たものは、いつかは必ず消滅していかなくてはならない(諸行無常)。
また、この世に生まれ出たもので、永遠に続く不変の本体(実体)をもつものは、何一つ存在しない(諸法無我)。
このような無常・無我がブッダが見つめた人生や世界の真相である。
では、なぜ世界は無常・無我であり、この世に生まれ出たも のは必ず消滅しなければならないのだろうか。
縁起
ブッダは、すべてのものがそれ自体で独立しているのではなく、さまざまな原因や条件(因縁)に依存して存在しているからであると考えた。
因とは直接の原因であり、縁とは付随する条件である。
因縁が和合すればあるものが成立し、因縁 が分散すれば、そのもの自体も消滅する。このような真理を、縁起の教えという。
存在するものは、原因や条件が寄りあって縁起に従って成立し、その因縁となるものも、また他のものによって条件づけられている。
このような無常・無我の人生の中で、老いや死を避けられないにもかかわらず、人間はみずからの命や地位や財産が永遠に続くことを願っている。
すべてのものは縁起によって成り立つという真実を悟らず、自己や自己の所有物が永遠に続くことを願うという人間の根本的な無知は無明と呼ばれる。
所有物への執着の根底には、そのような所有を願う自己自身への執着、すなわち我執がある。
無明 涅槃
人生が無常であるにもかかわらず、縁起の教えを悟らず、我執にふり回わされて永遠の楽 しみや不死を願う無明から、さまざまな人生の苦悩が生まれる。
人の心の中には欲望の炎があり、人間がみずからの生存や所有物に執着する心から生まれる。そのような我執の心があまりに強いので、人は欲望の渦に飲みこまれ、争い、憎しみあい、みずからを苦しめる。
このような欲望の炎をうち消し、我執から自己を解放することによって、悟りの境地(涅槃)に達することができる。
涅槃とは、炎の消滅という意味で、煩悩の炎が吹き消され、心に永遠の平静さと安らぎが訪れた状態である(涅槃 寂静)。
人は欲望なしでは現実に生きられない。快楽と苦行を避け程よい適切な生き方(中道)を説いた。
ブッダは、過度な快楽を遠ざけて欲望を適度に抑制し、心静かに生きることを求めた。
ブッダはこのような涅槃を実現する道として、四諦八正道の教えを説いた。
四諦とは、四つの真理という意味である。人生は苦しみに満 ちており(苦諦)、その原因は心に欲望が集まっているところにある(集諦)。
その欲望を消滅させれば涅槃の境地が訪れるが(滅諦)、そのためには正しい修行の道がある(道諦)。
八正道は、八つの正しい修行の道という意味で, 真実を正しく見る(正規)、正しく考える(正患)、正しい言葉を語る(正語)、正しく行動する(定業)、正しく生活する(正命)、正し く努力する(正精進)、正しい教えを記憶にとどめる(正念)、正しく精神を統一する(正定)である。
禅定 ヨーガ
定(精神統一)とは、古くからインドに伝わる瞑想法で、心を静めて真理を体得する禅定(ヨーガ)のことである。
ブッダ 自身が禅定をとおして真理を悟ったのであり、正定において欲望の炎の消滅としての涅槃が実現され、悟りが完成する。
八正道は無常・無我の真実をみつめ、縁起の教えを理解し、執着心を捨て、静かで安らかな心境で生きようとつとめることである。
ブッダは快楽におぼれることを戒めるとともに、身体を苦しめる極端な苦行を批判 した。
縁起の教えを学び、中道を守りながら八正道を実践すれば、誰でも真理に目覚めて、ブッダ(覚者)になることができるとした。
慈愛 慈悲
ブッダは、 すべての命あるものへの慈悲を説いた。
慈とは慈しみであり、人びとに安楽や楽しみをあたえること、悲とは他者へのあわれみ・同情であり、人びとの苦しみを取り除くことである。
慈悲は命あるものへの限りない優しさであり、無常の世界に生きるはかない命であるからこそ、 それだけ切実に生きるものすべての幸福と平和を願う心である。
自分への執着心を捨てて慈悲の心をもち、すべての生けるものがともに安らかに、平和に生きることが、ブッダの願った人生の理想であった。
インド仏教の歴史 「覚り」と「空」 (講談社学術文庫) [ 竹村牧男 ]
1,134円
楽天 |