花輪線8620の形態分類と龍ヶ森越え運用についての8回目、今回は番外編として、『ヨンサントオ』前後ではなく、DE10
配置後に他区から移入してきた8620、それに三重連ブーム以前の龍ヶ森越え運用に就いていたナンバーの概略に触れたい。

 

以外と知られていないのが、花輪線へのDE10の配置と無煙化の時期である。

初めてDE10が配置されたのはS44/1969であるが。花輪線一部DL化はS44/1969.12.1で、余剰となった8620は五能線(管理所)へ貸し出されたり休車扱いとなったりして8620の淘汰が始まった。


S45/1970.3.31現在、盛岡機関区には既に下記12輛のDE10が配置されている。
DE10-133,134,135,136,137,138,139,140,141142,143,144  
※0番台、SG搭載、1966年~1970年に158両 (1 - 158) 製造

更に、S46/1971.3.31現在の盛岡機関区では下記22輛のDE10に増備されている。
DE10-135,136,137,138,139,140,141142,143,144,1001,1002,1003,1004,1005,1197,1501,1502,1503,1504,1505,1540


※1000番台、SG搭載、DML61ZB形 (1,350 PS / 1,550 rpm) 搭載、1969年~1973年に210両 (1001 - 1210) 製造
※1500番台、SG未装備500番台の機関を1000番台と同一のDML61ZB形に変更、1970年~1978年に265両 (1501 - 1765)製造 

<参考>
S45/1970.3.31現在、8620の配置数
盛岡機関区:38689,38690,48637,48685,48689,68622
荒屋新町支区:38676,38688,38698,48633,78646,88620


S46/1971.3.31現在、8620の配置
盛岡機関区:38689,38690,48685,48689,68622,68678
荒屋新町支区:38688,38698,48633,78646,88620


さて、S44/1969に配置されたDE10は当初、試運転を兼ねて8620との協調?運転が組まれていた。それを受けて
S46/1971.3に無煙化達成完全無煙化はお別れ運転翌日S46/1971.10.1である
なお、盛岡地区入換無煙化もS46/1971.9.30である。

撮影:徳永益男氏・S45/1970.8


田辺幸男氏ののhpで。下記記述を見つけたが、氏は勘違いをして書き込んだと考えられる。それに「龍ヶ森超え」ではなく「龍ヶ森越え」である。

・・・この大正生まれの老雄 ハチロクたちの活躍の舞台である「龍ヶ森超え」に無煙化の波が押し寄せて来て
DE10が投入されたのは1971年(昭和46年)10月と云う早さであった。それは硫黄と黄鉄鉱の貨物輸送のパトロンであった松尾鉱山が1969年(昭和44年に入ってから最初の倒産劇を演じたことと関係があるのであろうか。・・・

DL化とは関係無いが、氏のhpで
385列車について触れられているが、あきらかに列車番号が間違っている。なぜか?それは、岩手松尾側から上ってくる下り列車の補機は、全て前向きである。この画像を見ると、後補機が逆向きになっている。


全文を読んでこの誤記に気づいた。

・・・県道の峠を越えて少し下った所から俯瞰撮影した。
385貨物列車が大谷場峠の赤坂田側の急勾配を登って来た。後補機は逆向き1両で、貨車は13両と短かった。左手の中ほどの奥から右手前に。土手。後ろも前も白煙が立ち上がってから向こう側に流されている。手前は雪。背後も近い山と遠い山も積雪。・・・

「・・・
385貨物列車が大谷場峠の赤坂田側の急勾配を登って来た。後補機は逆向き1両で・・・」

つまり、385列車が赤坂田側から上ってくるはずはないのである。

正解は、上り380列車である。

前段が長くなってしまったが、完全無煙化前には北海道や東北他区からの転入機もいた。

1例として・・・


【68678略歴】
S45/1970.8.30    帯広運転区から盛岡区に転属
S46/1971.10.20付 盛岡区にて廃車
※郡山工場にて解体待ちの間にDL故障により工場構内入換機として短期間復活。



68678・1971.3

 

次に、『ヨンサントオ』前に目を向けると、以下のナンバーが配置されていた。
盛岡機関区・・・18629
花輪線管理所・・28643,28644
以上、1965年版国鉄車両配置表/鉄道図書刊行会発行

【18629略歴】
T5/1916.9         汽車製造大阪 NO.214  東部局新製配属 
S6/1931.1.31現在   郡山庫→→会津若松庫=会津若松区→小牛田区→郡山区の後、
S38/1963.3.31     郡山区→盛岡区
S41/1966.8.14     盛岡区→秋田区 入換専用機
S43/1968.10.10付  秋田区にて廃車

【28643略歴】
T8/1919.6        汽車製造大阪 NO.352  仙台局新製配属 
S6/1931.1.31現在 酒田庫
S6/1931.10       酒田庫→尻内庫
S10/1935.4       尻内庫→青森庫
S11/1936.9.1      青森庫→青森区(職制変更)
S14/1939.10      青森区→弘前区
S15/1940.11      弘前区→盛岡区
S19/1944.4頃   盛岡区→盛岡区荒屋新町支区
S30/1955.8.1現在 盛岡区                        
S34/1959.4.1現在 盛岡区荒屋新町支区
S36/1961.2.10     盛岡区荒屋新町支区→花輪線管理所(組織改正)
S42/1967.12.22    花輪線管理所→五能線管理所
S43/1968.3.25付  五能線管理所にて廃車 

【28644略歴】
T8/1919.6        汽車製造大阪 NO.353  仙台局新製配属 
S13/1938.11       会津若松区から盛岡区へ転入
S19/1944.4頃    盛岡区→盛岡区荒屋新町支区
S36/1961.2.10     盛岡区荒屋新町支区→花輪線管理所(組織改正)
S37/1962.4.1現在 盛岡区
S39/1964.4.1現在 花輪線管理所
S43/1968.2.21付  花輪線管理所にて廃車

 

 

更に遡ると、以下のようなナンバーがヒットするが、画像がなかなかみつからない・・
【28621略歴】
T8/1919.4        汽車製造大阪 NO.330  北海道局新製配属 
S24/1949.3.1現在 盛岡区
S25/1950.8.1      盛岡区→盛岡区荒屋新町支区
S0/1955.8.1現在 盛岡区
S34/1959.4.1現在 盛岡区荒屋新町支区
S36/1961.4.1現在 盛岡区
※この頃、入換用警戒仕様として全体を灰色がかった淡紅色に塗装変更・・・煙室扉・前端梁・テンダー後部。テンダー腹部白緑十字塗装。その後標準色に戻す
S38/1963.3.30付    盛岡区にて廃車

 

【28624略歴】
T8/1919.4        汽車製造大阪 NO.333  東部局新製配属 
S24/1949.11.1現在 盛岡区
S26/1951.11.1現在 盛岡区荒屋新町支区
S30/1955.8.1現在  盛岡区
S34/1959.4.1現在  盛岡区荒屋新町支区
S36/1961.2.10       盛岡区荒屋新町支区→花輪線管理所(組織改正)
S39/1964.3.30付  花輪線管理所にて廃車


【58621略歴】
T11/1922.3       汽車製造大阪 NO.575仙台局新製配属 
S13/1938.11      会津若松区から盛岡区へ転入
S30/1955.8.1現在     盛岡区荒屋新町支区
S34/1959.4.1現在     盛岡区
S35/1960.4.1現在     盛岡区荒屋新町支区
S36/1961.2.10         盛岡区荒屋新町支区→花輪線管理所(組織改正)
S38/1963.3.30付   花輪線管理所にて廃車
※形式入りナンバー機

【68689略歴】
T12/1923.11.17    日立製作所笠戸 NO.103 仙台局新製配属 
S25/1950.9.17     長町区から盛岡区へ転入
S29/1954.4.1現在 盛岡区荒屋新町支区
S36/1961.4.1現在 盛岡区    
S38/1963.3.30付  盛岡区にて廃車 


次回は、列車ホテルの元祖“龍ヶ森ヒュッテ”について