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昭和40年代の鉄道「東北編Ⅱ」の制作にまつわる話です。

我が家の引っ越し作業(開梱)は未完了、地獄のような忙しさの中で毎日悪戦苦闘した編集作業(特に修正時)の苦労話です。

さて今回の「江田信号所」は、名称からして難題だった。本題に入る前に予備知識として、名称などについての考察をしてみたいと思う。

何回も名称変更(実態も)して、現在は「江田駅」になっているが、間違いだらけのWikipediaではヨンサントオ前後の名称は「江田信号所」となってない。
このWikipediaから詳細を読み取ることはできないが、江田信号所→江田仮乗降場→江田信号場→江田駅としか判断できない。

名称の問題もさることながら、「信号所」と「信号場」の定義にも目を付けると疑問点が浮かんでくる。

「鉄道ピクトリアル」に掲載されていた国鉄の停車場規定によると、ここは「信号場」ではなく「信号所」であり、私たちが訪れたヨンサントオ前は、「江田信号所」という名称で呼ばれるべきなのではないだろうか。

入念な調査の結果、あえて、既刊の『東北編』でも、
 「信号場」➡「信号所」に書き換えて発行した。
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〔磐越東線~江田信号所の歴史〕<改訂版>
 阿武隈高地を越えて、浜通り(福島県太平洋沿岸)の平と中通り(同県中部東北本線沿い)の郡山を結ぶ平郡線として計画され、平側の平郡東線(へいぐんとうせん)、郡山側の平郡西線(へいぐんさいせん)が1914年から翌年にかけて開業。1917年の全通と同時に磐越東線と改称した。
1917年・大正6年10月10日→小川郷~- 小野新町 (29.8 km) が延伸開業し全通。
 「江田信号所」および「川前」、「夏井」の各駅を新設、平郡西線を平郡東線に編入して磐越東線と線名を改称。

1922年・大正11年4月1日→江田信号所を信号場に改める
1933年・昭和8年11月16日→江田信号場を廃止
1948年・昭和23年10月1日→江田仮乗降場として開業。
1963年・昭和38年7月15日→仮乗降場から信号所に変更。旅客の乗降は継続。
1968年・昭和43年10月1日→貨物列車と一部の旅客列車に用いられていたD60型SLがDD51型DLに置き換えられ無煙化となる。
1984年・昭和59年12月1日→再度、信号所から仮乗降場に変更。スイッチバック廃止。
1987年・昭和62年4月1日→国鉄分割民営化に伴い、仮乗降場廃止。
東日本旅客鉄道の正式な駅となる。この時点では営業キロの設定はなし。
1990年・平成2年3月10日→営業キロ設定。三春駅管理の無人駅となる。
 
また、ここ「江田信号所」はスイッチバック駅としても有名である。
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本線から分岐している線は、正式名称では「引上線」であるが、前巻を含めて「待避線」という名称が混在している。
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・引上線→停車場において、列車や車両の方向転換や入れ換えを行うために、一時的に本線から列車(車両)を引き上げるための側線。
・待避線→単線の鉄道などで、他の列車が通過するのを待つために設けられた線路。
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ほかに、突込線、押下線、折返線、留置線などは本当の名称のなのだろうか?
 
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しかし、色々な名称が出てくるのには困ったものである・・・

次回は、1968/S43.8.25訪問時の記録と急行“いわき”について・・・
 
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