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昭和40年代の鉄道「東北編Ⅱ」の制作にまつわる話の6回目です。
我が家の引っ越し作業(開梱)は未完了、地獄のような忙しさの中で毎日悪戦苦闘した編集作業(特に修正時)の苦労話です。
 
さて今回は前回の続きで「国鉄龍ヶ森ヒュッテ」の内部レイアウト。
当時の宿泊した時の内部の様子はうる覚え状態で、最初はデタラメに近い図であった。
〔↓これは空想か妄想に近い状態?!〕
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〔2016.5.4現在の内部見取図〕

当時のパンフレットを観ても定員数がまちまちであり、どのパンフレットを信用したらよいか分からなかった。
例1
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【例2】
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私が覚えている寝台車の様子は、
「二段ベッドでそれぞれがカーテンで仕切られていた」、
「隙間風が入ってきてとても寒かった」、
ぐらいであった。
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そして、食堂車で食べたメニューの記録はあるが、内部の様子はぼんやりしていた。
ロビーカーで何時間も情報交換や鉄話をしたにもかかわらず、その内部の様子は、
「ただイスがいっぱいあった」ぐらいなのである。
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〔↑寝台車のベッドは片側だけであったという証言による最終決定稿〕
 
当時、このヒュッテに宿泊した方々から情報をいただけなかったら、この見取り図も完成できなかったと思う。
なんと、ここまで辿りつくのに実に1年以上かかっている。
最初の2016.5.4の図を見ると、いかにいい加減な記憶だったかがわかる。
 
たった一度の宿泊だったが、今思い起こすと当時としては画期的な列車ホテルだったと思う。
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この編成は模型化のネタにもなるので、現在、9ミリ(Nゲージ)のオハ31を5両買い込んで製作を始めている。そして、ゆくゆくはこの思い出に地「龍ヶ森駅」周辺のジオラマを完成させたいと思っている。
次回は、磐越東線「江田信号所」です。
 
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