そんなこんなの今日この頃ですが、
こちらウクライナの11歳のヨーテル少女との事。
Pocochaなら、リスナーから馬車がポンポン飛びますな、こりゃ。
ほなバイなら。
そんなこんなの今日この頃ですが、
こちらウクライナの11歳のヨーテル少女との事。
Pocochaなら、リスナーから馬車がポンポン飛びますな、こりゃ。
ほなバイなら。
「プルーミッジ」主催の新宿ロフトでのライブも
前回の三軒茶屋同様、いくつも のバンドが出演していた。
演奏曲数も1バンド2曲程度であっだろう。
我々は、大竹君が地元新潟のバンドでやっていた「ファンキートラック」というオリジナル曲をやった。
曲タイトル通り、ファンクのリズムのR&B曲である。
このロフトでのライブは、新加入メンバーのおかげもあり、前回に比べればまずまずのパフォーマンスを披露できたのではないかと思う。
その後、このメンバーでしばらく活動を続けていたが、方向性の違い等でまた拙者と大竹君の二人になっていた。
この頃は、拙者が18才、大竹君は20才という年齢であったと追う。
この時期以降は、拙者も個人的にあちらこちらのジャムセッションに参加していた。ともかくベースが弾ける所があればどこにでも出かけて行って、先輩方にいろいろと教わりながら、少しづつでも上達していったのではないかと思う。
つづく
当日の、出演バンド数は覚えていないが、10バンド程度は居たのではないかと思う。
我々は、大竹君の演奏技術の高さで何とかカッコがついたという結果であった。
拙者とドラム担当の柴田君が、17才、藤巻君18才、大竹君19才という年齢であった。
この初ライブの後に、柴田君、藤巻君はそれぞれの事情でバンドから離れる事となる。
拙者と大竹君は話し合いの末、新たにメンバーを募って活動を続けて行く事にした。
そして、また音楽雑誌「Player」のメンバー募集欄にて、ドラムの稲垣君と男性ボーカルのブンさんと知り合う事ができた。
稲垣君は拙者と同じ年で、ジャズの大御所ドラマーさんの弟子であった。ブンさんはR&B系のボーカリストで、3才年上の20才であったと思う。
また、ブンさんの知り合いの女性キーボードプレイヤーが、サポート的にリハーサルに参加してくれたりもしていた。
このメンバーで、しばらくリハーサルを続けて、プルーミッジ主催の新宿ロフトで行われるライブにエントリーする事となった。
つづく