昨日は「処暑」だったそうだ。
「夏もここまで」とはいかずまだまだ暑い日が続くが、この頃になると毎年読む本がある。
向田邦子のエッセイ集だ。
8月22日は「木槿忌」・・・「向田邦子」の命日である。
明治から大正を経て昭和にいたる近代史は、そのまま日本の近代文学史でもある。
漱石から始まって芥川、三島、と続き最も最近が「向田邦子」
そこまでが私の考える物書きの系譜だ。
大概の小説は人生観を変えさせられるほど何度も読んだが、新たな発見は彼らの書くエッセイにある。
太宰は色々読んでみたが少し肌に合わない、ピッタリきたのが向田邦子であった。
ふだん見ないBS-TBSが彼女の特集をやっていたので楽しく拝見させて貰った。
妹分の黒柳徹子氏には向田女史の事だけを個人的に話してもらいたいほど彼女への関心は日増しに強くなっている。
人を観察した事から紡がれる物語は「茨木のりこ」の短編にも通ずる人間ドラマで
これこそ日本独自の文学として世界に誇れる物だと個人的に思っている。
派手な仕掛けも幻想的な浮遊感も全く必要としない現実の人間描写。恐れ入るほど見事な結論の出し方。彼女の何でも無いエッセイに心が動いた直後なら大声で言える。
「村上春樹のどこがいいの」?
日本の言葉は世界的に見てもかなり難しいらしい、これほど変化に富んだ言語を操る国にしか成立しない文学がある。それを理解していない小説家や文化人が多すぎる。
今もテレビでは文化人と自称する演劇人が理解してもいない日本の文化を安く語っている。
彼女の最後の講演会での言葉がある。
「言葉は自分の力にもなるが、相手に対した凶器にもなる、諸刃の刃である」
「私は最近言葉が怖い」
ののしるばかりのメディア御用達の似非文化人に言いたい。
「向田邦子」を読んでみたらどうか・・・と。
守るべき日本の文化の本質を垣間見る事が出来るかもしれない・・・と。
私は常々言っていた言葉がある「あいつは良い奴だけど馬鹿だ」と言うよりも
「あいつは馬鹿だけど良い奴だ」と言った方が良い。
この事を話したときに「向田邦子さんも同じ事を話していた」と私に話した脚本家がいた。
後になってそれが菊池寛の講演での言葉だった事を向田さんの講演内容で聞いた。
その話を含む向田邦子最期の講演から、抜粋で・・・
落語の話にくすぐられる。