我が「株式会社studioWASABI」の相談役・会長であった。

コロナのせいで会えなくなっている間にこの時が訪れてしまった。

BSフジでの番組や橋本五郎の「言わずに死ねるか」など進行中の案件が多くある中、完成を待たずの旅立ちであった。

20年近く前の事、初めて撮った映画に出演してくれた三宅氏の紹介で新宿「千草」で嶋田氏に会った時

「あの台本は貴方が書いたのか」「はい、そうです」と答えると

「とても良く出来ている」「だがもう二度と書くな」と言われ返答に困ったのを思い出す。

数限りない迷惑を掛けられながらも何故か応援してしまうタイプの、

根っからの「ボス」気質の人であった。

フジテレビの開設に携わり、新国劇の社長であり、

美空ひばりと唯ならぬ関係の人であった。

誘われるままに入会した「演劇協会」や「脚本家協会」など大家の犇めく組織であっても現在では影響力など無く、タレントを抱えるプロダクションのやくざチックな力関係で決まるのが「ざ・芸能界」である事を肌感覚で教えて貰った。

出会った頃にネットを使った番組を造ろうとして試行錯誤していた頃の映像がある。

今見ても悪くない方向性だと思うが、テレビ関係者は誰一人理解してくれなかった。

それでも20人程度のゲストとの対談や鼎談は今では貴重な映像記録となっている。

この企画を始める為に作った会社が(株)studioWASABIである。

当時は「和塾」という社名で立ち上げ会には佐野さんも来ておられた。

始めたばかりの頃、帝国データバンクが調査に来た事がある。

内容を聞いてベテラン調査員が言った。

「志で仲間を集めて上手く行った会社を見た事がありません。心根に惚れて手伝いますと言う人に限って狙いはお金です。やめた方が良いとは言いませんが群がって来る人達に気をつけて下さい、上手く行く事を祈っています」・・・と。

その通りの展開となった。

「苦い蜜」を撮った後、会社は空中分裂、押し付けられた会社を社名変更して今に至っている。

それでも今だに同じ方向を見ながら

「誰も判ってくれない」と嘆くより「誰かが判ってくれている」

と考えながら体が動く限り仕事をして行きたい。

久しぶりに見た映像のナビゲーターの二人はもう居ないが、まとめ役の三宅氏とは今だに呑み仲間である。

かつて彼が演っていた劇団はそれはそれは素晴らしく、自分で演らなくても応援するだけで意義があると思うほどのものだった、役者達がてんでに自分の意見を言い始めるまでは。

そう言えば川崎市の「やさしさの連鎖」が嶋田さんと関わりのある最後の作品となった。

彼が最後にやろうとしていた企画を実現させるつもりだ。

                             by がんこGG

 

 

 

我が「株式会社studioWASABI」の相談役・会長であった。

コロナのせいで会えなくなっている間にこの時が訪れてしまった。

BSフジでの番組や橋本五郎の「言わずに死ねるか」など進行中の案件が多くある中、完成を待たずの旅立ちであった。

20年近く前の事、初めて撮った映画に出演してくれた三宅氏の紹介で新宿「千草」で嶋田氏に会った時

「あの台本は貴方が書いたのか」「はい、そうです」と答えると

「とても良く出来ている」「だがもう二度と書くな」と言われ返答に困ったのを思い出す。

数限りない迷惑を掛けられながらも何故か応援してしまうタイプの、

根っからの「ボス」気質の人であった。

フジテレビの開設に携わり、新国劇の社長であり、

美空ひばりと唯ならぬ関係の人であった。

誘われるままに入会した「演劇協会」や「脚本家協会」など大家の犇めく組織であっても現在では影響力など無く、タレントを抱えるプロダクションのやくざチックな力関係で決まるのが「ざ・芸能界」である事を肌感覚で教えて貰った。

出会った頃にネットを使った番組を造ろうとして試行錯誤していた頃の映像がある。

今見ても悪くない方向性だと思うが、テレビ関係者は誰一人理解してくれなかった。

それでも20人程度のゲストとの対談や鼎談は今では貴重な映像記録となっている。

この企画を始める為に作った会社が(株)studioWASABIである。

当時は「和塾」という社名で立ち上げ会には佐野さんも来ておられた。

始めたばかりの頃、帝国データバンクが調査に来た事がある。

内容を聞いてベテラン調査員が言った。

「志で仲間を集めて上手く行った会社を見た事がありません。心根に惚れて手伝いますと言う人に限って狙いはお金です。やめた方が良いとは言いませんが群がって来る人達に気をつけて下さい、上手く行く事を祈っています」・・・と。

その通りの展開となった。

「苦い蜜」を撮った後、会社は空中分裂、押し付けられた会社を社名変更して今に至っている。

それでも今だに同じ方向を見ながら

「誰も判ってくれない」と嘆くより「誰かが判ってくれている」

と考えながら体が動く限り仕事をして行きたい。

久しぶりに見た映像のナビゲーターの二人はもう居ないが、まとめ役の三宅氏とは今だに呑み仲間である。

かつて彼が演っていた劇団はそれはそれは素晴らしく、自分で演らなくても応援するだけで意義があると思うほどのものだった、役者達がてんでに自分の意見を言い始めるまでは。

そう言えば川崎市の「やさしさの連鎖」が嶋田さんと関わりのある最後の作品となった。

彼が最後にやろうとしていた企画を実現させるつもりだ。

                             by がんこGG