10数年前の事、私の事務所で当時としては珍しい小型の録音機を机の上に置かれ

「年寄りですから忘れた時の為にこうして内容を録音しておくのです」

と言われながらニコニコと話される姿が歴代1位の人気を誇る「3代目水戸黄門」佐野浅夫氏との初めての会見だった。

当時計画していた映画「苦い蜜」の影の主役「謎の老人」役として、少々時代劇掛かった演技をお願いし、二人の合言葉は「平成の水戸黄門」。

映画に対する考えや、演技に対する考えを、民藝時代から続く永く深いご自身の体験を交え、相手の気を削ぐまいと、私ごときの映画論の方向を探りながら、少しづつではあるが確実に、深い演劇論に辿り着くまで話し合った事が今となっては忘れられない思い出である。

 

本読みの時の疲れた様子、撮影直前に倒れられた事から出演は叶わなかった事が悔やまれるが、

ただ二人で酒を酌み交わして話した事は宝物である。

 

「今では江戸時代どころか、昭和の時代ですら演出家も俳優も当時のことを知らぬ」「襖が開けられぬ、敷居を跨げぬ、畳を歩けぬ」「謙譲言葉を知らず、女性言葉を知らず、文語と口語の区別もつかぬ」「あまり言うと、煙たがられて己が撮影所に呼ばれぬ」と笑われていた。

若い監督に意見を求められても、違いを指摘すると「有難うございます」と言いながらも「まあ、そこまで拘らなくてもいいでしょう」で終わる。

ある日、時代劇で日本橋を行き来する町人達の身なりについて一言発言されたそうである。

「江戸を出る者と、帰ってくる者の身なりが逆だ」と、

それ以来、テレビの現場には呼ばれなくなったそうだ。

 

 

時代劇の文化は継承されず「大河ドラマ」ですら、そのうち「親分、今がチャンスですぜ」と言いそうである。

 

叶わぬ事とは言え、もう一度「三島と芥川と3人でボクシングを肴に呑んだ」話を詳しく聞かせて欲しかった。ラジオドラマを聴かせてもらう約束だったのに・・・

 

佐野さんに貰った、まるで猫の茶碗の様な江戸時代の皿を探していたら出会った時にいただいた京都の扇子が出てきた。大切に保管してあった為、開くのはその時以来・・・

包みに書いてある「佐の」の直筆に思わず感激した。

 

                         by  がんこGG